元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

入学準備をしながら感じた「小1の壁」

ここ最近、就学前健診やら、入学説明会やら、体験入学やらが毎月のようにあり、しかもそれがすべて平日なので、共働きの我が家は仕事を夫婦で工面し合って参加したり、各書類の準備に追われたり、学童の申し込みをしたりしながら準備をしていた。

 

 

具体的に挙げると、

11月・・入学届提出@学校(私)と同時に知らされた、同じ月の就学前健診(妻)

12月・・学童申請に向けた書類準備と提出(私)

1月・・入学説明会と、そこで手渡される入学式までの必要書類・物品の準備(私)

    来年度の放課後デイサービスおよび、療育の更新書類の準備・提出(私)

2月・・体験入学(妻)

3月・・卒園式(夫婦ともに出席予定)。学童の説明会(私)

といった感じ。

 

 

・・・最近肩こりが強かったが、これらのことを未就学児2名がいる生活の中でプラスアルファしながらやりくりするのだから、そりゃ疲れるはずだ。

 

ちなみに、夫婦の分担は、他の家の用事や予定のことなどの兼ね合いで、夫婦で話し合いながら決めたので、分担割合にこの場を借りて文句を言いたいわけではない。

念のため。(逆に言い訳がましい・・?笑)

 

 

 

・・・自分自身、就学説明会にも参加して思ったこととして、ある意味で当然ながら、小学校というのは保育園とは違う場所であるというのと同時に、保護者の方も多様。

 

 

保育園というのは、ある意味で、親が日中に何らかの事情で自宅保育ができないという人向けのサービスなので(個人的には事情なくとも誰でも保育所を活用できる世の中であってほしいとは思うがそれはまた別のお話)、

なんだかんだ同質性が比較的に高い。

 

夫婦共働きの人が多かったり、あとは同じクラスの人数が一桁だったりして、似たような属性・背景の人が多い、ともいえると思う。

 

 

ただ、説明会にいた顔ぶれだけ見ても、おそらく20代の親も、40~50代の親もいる。

働いてないやろうな~みたいな髪色・風貌の人もいたり(偏見かもしれないが)、

すでに集まって情報交換している人もいたり、孤高な感じの人もいたり。

 

親の有りようで子どもの特徴が決定づけられるわけでもないが、公立小学校でもあるし、いろんなご家庭がいるのだろうな・・と、自分自身の仕事柄も相まって想像・妄想する。

 

あとは保育園は仕事の時間に合わせてお迎え時間が設定されるが、我が家は小学校+学童を併用することになる。

なので、学童はいつ決まるのか、春休みは4月1日から学童に行けるのか、長期休みはどうなるのか、とかの疑問・確認事項や、

給食がない期間はお弁当が必要、休むときには両方に連絡が必要、という日々のスケジュール確認をどうするかなどを、具体的に検討・実行することになる。

 

・・・うん、とりあえず、頑張ろう。

 

 

あともう一つ、絶望と希望の狭間の中で、歩み途中のタスクがある。

 

・・・それが「持ち物全てへの記名」である。

 

新たに買い揃えた、給食袋や箸・コップ・ナプキン。下敷き・鉛筆・消しゴム。

ランドセルに帽子。お道具箱と、その中にあるハサミ・のり・粘土たち。

あと何枚・何個あるかわからない計算カードや補助用品。などなど。

 

・・・とりあえず、名前スタンプすることを発明した人には、心の底から感謝しながら、合間の時間で進めている今日この頃。

 

子どもが生まれたらすべての家庭に自治体がお祝いがてらの名前スタンプを配ったら、結構な子育て支援サービスじゃなかろうかと妄想していたりする。

(ちなみに我が家はこれを保育園入園時に買ってました:【楽天市場】お名前スタンプ スタンダード22点セット 【入学専用】 

 

ついでに、もう終えてはいるけど、子どもの名前や住所にはじまり、予防接種歴・発達歴あたりを、何度手で書かせたら気が済むのか、というくらいな思いでいる。

 

それこそ健診とか、保育園入園時とか、療育に通うようになったときとか。

 

 

・・・デジタル庁さんにはもう一息、頑張っていただき、個人情報保護とか後で考えてもらったらいいので、ピッと読み込める何かしらを早く開発してほしい。

なんならWordで書ける書式をQRコード化してもらうだけでもいい。

 


あ、ついでに、高くて重いランドセルはもういいから、安くて軽いランリュックがデフォルトになってほしい。

なんなら、七五三のときにレンタルできる和装のように、写真撮影のときだけ卒園式&入学式用のスーツをレンタルできるような仕組みができたらなお有難い・・・。

 

 

 

・・・子育てをしていると、こんな風にさまざまな要望を胸に抱く。

 

少なくない数の大人が子育てをしているはずなのに、これらのことを改善するムーブメントがなぜ起きないのだろう、とすら考えるが、答えは出ない。

 

子育てに忙しすぎて、喉元をどんどん過ぎてしまい、その都度の熱さを忘れてしまうからなのかもしれない。

 

そう考えると、そういったムーブメントのためにも、まず子育てしている人が、もっと余裕を持ちつつ社会参加できる世の中になってほしい。

 

 

・・おっと、また新たな要望が出てきてしまった。

 

まぁ、せっかくなので、喉元過ぎて熱さを忘れることのないよう、こちらに書き留めておこう。

 

 

そんなこんなで、所謂「小1の壁」を小学校入学前に感じつつ、何かとある年度末を乗り切るべく・・

・・・うん、とりあえず、頑張ろう。

 

 

危うい最後の発表会

 

昨日、息子氏の最後の生活発表会だった。

 

思い返せば、昨年は、息子氏は初めてのインフルエンザにかかった療養明けで一日登園したら生活発表会というなかなかのギリギリっぷり。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

 

今年はどうなるか・・と思っていたら、生活発表会の前々日の夜、38度の発熱をだす息子氏。

 

 

今年度ほぼ体調不良の欠席はなかったのに・・・と、

インフルエンザとかコロナが流行っている昨今なので既に絶望的。

 

 

てか保育園もこんな感染症が流行りやすいときにやるなよ~という

よくわからない飛び火を、脳内で保育園に飛ばしつつ。

 

 

・・・と思ったら次の日(生活発表会の前日)の朝は平熱に戻る。

 

お、いけるか?いずれにせよ今日は流石に休みやな。

 

 

 

 

・・・と思ったら、昼から再び熱が上がり始める。

 

あぁ今度こそ、息子氏の保育園最後の晴れ舞台、オワタ。

 

 

 

・・・と思いながら夜に受診したら、インフルエンザもコロナも陰性。

食欲もなかったので、おそらく胃腸風邪だろうと。

 

お薬ももらったし、息子氏の調子次第ではいけるか・・?

親の身勝手な気持ちとしては、やはり見たいぞ・・。

 

 

そんな親としての葛藤も抱えながら迎えた、生活発表会の当日。

 

 

熱はない。食欲も出てきている。

息子氏も、頑張ってきた自負もあってか、行きたいという。

 

 

よし、行こう。

 

 

 

・・・と思ったら、出発の30分くらいから、息子氏が

「やっぱり発表会いかなくていい?」と聞いてくる。

 

 

着替えもすましているので、行くつもりはしていたはず。

 

またお腹が痛くなったのか、それともここ数日練習してないから自信がないのか。

 

・・率直に息子氏に聞いてみると、後者だとのこと。

 

 

まぁそりゃそうよな。

 

もしかしたら、行ってほしい親の身勝手な思いも伝わって、行かないといけない雰囲気にさせてしまったのかもしれない。

 

 

・・・しばし考える私。

 

ここで休んでも、体調不良ということで、言い訳は立つ。

ただ息子氏の人生にとって、頑張ってきたことを自信がないからとチャレンジしないことは、果たして良いことなのか・・。

 

 

いや、違う。

 

どんなに自信がなかろうが、これまで頑張ってきた息子氏の努力は消えない。

 

今の精一杯の息子氏の発表ができれば、それだけで100点満点、120点満点なのだ。

 

もしそれで誰かが息子氏の発表に対して文句を言ってきたり、怒ってきたりしたとすれば、それは相手がおかしい。

 

そんな奴には私がむしろ文句を言って、怒ってやる。

 

 

・・・と、気づけば息子氏にほとんどそのまま話していた。

 

どれだけ理解してくれたのかはわからないが、息子氏は車に乗り、登園した。

 

それから園に入るまで、行き渋ることはなかった。

 

 

そして本番。

 

演目は、劇・歌「ブレーメンの音楽隊」。

事前に知らされたが、園児それぞれ、一人で台詞を言ったり歌ったりするシーンがある。息子氏は犬役で登場するはず。

 

 

お、息子氏が出てきた・・・

顔が緊張している・・けど台詞はちゃんと言えている・・・

 

 

・・・おっと、涙腺が危うい。

 

 

 

・・・と気づけば、観劇している親たちのすすり泣きが聞こえる。

 

 

 

そう、息子氏はもちろんのこと、子どもたちは本当に頑張っていた。

 

 

劇・歌が無事に終わり、惜しみない拍手が親たちから送られた。

 

 

本当に成長したなぁ。

 

 

見れてよかったよ。

 

本当に。本当に。

 

 

 

・・・ちなみに娘氏も、息子氏の少し前に発表を終えていた。

 

昨年はギャン泣きだったが、今年は、クラスで一番上手に踊れていた。

(親バカフィルターが発動していようがしていまいが、そんなことはどうだっていい)

 

 

 

 

今年の発表会は、危うかったながらも素晴らしい想い出として、私は一生、忘れない。

 

 

子育てにおける「質」と「量」

 

一時保護所に国が統一基準を設けるという報道から、子育てや子育て支援における「質」と「量」について思うことを、先月少し書いてみた

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

冒頭の記事に書いたように

子育てのあり方に高い「質」を求める以前に、子育てに人手が足りているかという「量」に目を向ける必要がある、と思う。

「質」を上げるより前に、「量」を上げることにまず、手を付けてほしい。

と自分は考えている。

 

そのことについて、もう少しだけ話を深めてみる。

児童相談所の人員は、この5年くらいで倍増する計画があり順調に増員中らしいが、それでようやく、「児童福祉司」という児童相談所における中心的役割の人々(イメージとしては警察における警察官にあたるような人)が、6,850名になる。

これは、日本の人口比で言うと約2~3万人に1人の計算。

 

ちなみに警察官は、約25万人。人口比で言うと約500人に一人。

 

そりゃ大人と子どもでは人口も違うだろうけど、二桁も違っていいものなのかな・・?と率直に疑問に思う。

 

ちなみに、単純な海外比較には慎重になったほうがいいとはいえ、先進国内でも「児童福祉司」と似たような役割の人たちは、人口比でもう一桁ないし二桁くらい多くいる。

 

 

 

あと、良く知られるようになってきたが、働く親たちの強い味方、保育士さんたちの人員も超・少ない。給与も、以前よりは上がってきたが、まだ全産業平均より少ない現状がある。

 

日本の保育所では2023年度現在、保育士1人に対して、0歳児は3人、1~2歳児は6人、3歳児は20人、4~5歳児は30人というのが国としての最低配置基準となっている(児童福祉施設の設備及び運営に関する基準 第33条)。

 

なお、この基準は、「異次元の少子化対策」の一環として、2024年度から76年ぶりに見直される。

具体的は、4~5歳児の基準は保育士1人に対して30人から25人へ、3歳児の基準も20人から15人へ、見直される予定。

 

基準が制定された1948(昭和23)年当初と比較して、3歳未満の児童への配置基準は改善されてきたものの、3歳以上の児童に対する配置基準はほとんど変化がなかったことを考えると、画期的なようにも思える。

 

 

・・・ただ、子育て経験があったりすれば容易に想像がつくのだが、一度に0歳児を3人まとめて保育するのも、4~5歳児を25人まとめて保育するのも、この世の仕事の中で最も困難ではないかと思えるくらいの無理ゲーだと思う。

 

 

プロだからできるっていう代物でもないと思う。

 

 

基本的に、人間には手が二本しかない。目も二つしかない。脳みそは一つしかない。

 

 

どうあがいても、3人まとめて抱っこすることはできないし、25人のランダムに動く子どもを二つの目で危険がないように追い続けることもできない。

 

そんなどうしようもない無理ゲーの中で、全ての保育現場で、なんとかチームプレイで乗り切っていたり、保育士さんの健康やら子どもの安全やら何かしらを犠牲にしながら過ごしているのが現状。

 

本当に、頭が下がる。

 

ちなみに、経済協力開発機構OECD)に参加する他国の基準ではそもそも、20人を超える3歳以上の子どもを、1人の保育者がアシスタントなしに担当することは想定されておらず、日本の配置基準はOECD参加国中で最多だったりする。

 

 

・・・日本の子育ての現実は、まだまだ「異次元」なように思える。

 

いちおう政府も、シルバー民主主義と揶揄されたり、先進国最悪とも言われるくらいの厳しい財政状況があったりながらも、2023年末にようやく、少子化対策として総額3.6兆円規模の「こども未来戦略」をとりまとめている。

 

さらにお金を投下する計画もあるようだが、少子化の波が止まらない現実に、どれほどのお金の「量」を投下したら変化が生じるのか。それまで日本がもつのか。

 

のっぴきならない問題であることには変わりない。

 

 

・・・・“It takes a village to raise a child”というアフリカのことわざを去年教えてもらった。

 

直訳すると「子ども1人を育てるには1つの村が必要」みたいな意味になる。

 

人間が成長していくためには、村など社会全体からの、多様な人の知恵・愛情・力などが必要ということで、地域ぐるみの子育て、社会全体での子育て、を指す言葉として、世界中で引用されている。

 

このことわざを思い出すたび、子育ての「質」以上に、ある程度の「量」としての人出が子育てに必要だと感じさせられる。

 

 

さぁ、日本はどうなるか。

 

 

1年越しの乗車

 

息子氏には、1年前の誕生日で、自転車にもなるストライダー的なものを買い与えていた。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

ただ、この1年間、ついぞ息子氏は乗車することなく、玄関の一定空間を占めるのみとなっていた。

 

 

そこへ昨年末ごろから、娘氏が、息子氏が同じくらいの年齢のときに乗っていた手押し三輪車に乗るようになり、息子氏もついでに何か乗りたい欲が高まるように。

そこへこれまた、買ってはみたものの、玄関の一定空間を占めるのみになっていたストライダーに乗り出すようになった息子氏。

 

 

もう6歳間近の息子にとって、ストライダーというのも今更かなと思いつつ、そのお手頃感が良かったようで、息子氏にとっては、ちょうどよい玩具になった。

 

 

間もなくストライダーを乗りこなすようになった息子氏は

「生まれ変わったみたい~♪」と大いに喜んでいた。

 

それから数か月、息子氏がいつも以上に、玄関に置きっぱなしになっていた自転車をみて、なんならまたがってみたりしていた。

 

1年前~半年くらい前まで、たまに乗車を促しても、100%「嫌!」と言われていたので、いつの間にか言わなくなっていたお誘いの言葉をダメもとで。

 

 

私「乗ってみる?」

 

息子氏「うん!」

 

 

おぉ、まじか、息子氏。

 

その良い返事、予想してなかったわ。

 

 

さすが6歳になった息子氏は一味違うな。

 

 

 

・・・ということで、1年越しの乗車。

 

これまた、間もなく、問題なく乗りこなすようになる息子氏。

 

 

 

・・・大人の役割って、本人がちょっと一歩踏み出しやすいような環境やきっかけ作りくらいで、それらが整えば、あとは待つのみなんだなぁ。

 

無理やり急かしても、無理な時は無理なんだなぁ。

 

そんな、言われてみればそりゃそうだよね~的な言葉を、改めて噛みしめながら、見通しが持てずに待ち続けるのもなかなか大変だなぁと感じていた自分自身を振り返る。

 

 

 

・・・うん、もっと、息子氏の成長を信じよう。

 

 

自分ができる範囲で、環境を整えながら、ね。

 

 

 

 

子どもにスマホを渡すことは危険・・だが

 

我が家は、息子氏が3歳と少しした頃から今まで、3年近く、子どもにスマホタブレットをかなり遠ざけるようにしていた。

childcare-support.hatenablog.jp

 

来年度から息子氏が小学生になるが、私は、少なくとも小学生の間、キッズスマホは断固として買い与えるつもりはない。

 

理由は3年前からさほど変わっていない。むしろより確信を持つようになっている。

 

 

・・・しかし、少なくとも日本では、それからどんどん、小学生にスマホを持たせることが一般的になってしまっている。

 

具体的に言えば、2023年現在で、スマートフォン利用率は、小学生64.0%  中学生91.0%  高校生98.9%と、年々利用率は高くなっている。

(出典;青少年のインターネット利用環境実態調査の詳細|こども家庭庁

 

 

子どもはスマホを持たせておけば当然、静かになる。

もちろんそれは表面的かつ一時的な落ち着きで、それが常態化するほど、子どもは大人があやして泣き止んだり、絵本を読んだりする集中力がなくなっていったりする。

 

そうやって一時的にでも乗り切らざるを得ない保護者さんが多いのは理解するが、子どもの言語・情緒面をはじめとする発達や、精神衛生面など、悪影響として失うものが大きすぎる。

せめてテレビの録画でお気に入りの番組を流しておくにとどめたい。

 

テレビだってよくないと言われるが、印象として、コーヒー牛乳と、超濃エスプレッソくらい違う(もちろんテレビがコーヒー牛乳)。

 

 

・・・ただ日本では、子どもにスマホを持たせるのにブレーキをかけるような報道が少なすぎた。

 

さらに、スマートフォン利用率が上がるほど、「みんな使っているし・・」という同調圧力というか、みんなで渡れば怖くない、的な雰囲気ができてしまう。

 

 

そこへ、ようやく、日本の大手メディア紙がスマホタブレットにまつわる悪影響について報じるようになった(海外の動向を報じたものではあるが)

www.yomiuri.co.jp

www.asahi.com

 

アメリカでは、SNSソーシャルメディアが児童や若者に及ぼす負の影響がすでに社会問題化しており、有害な「公衆衛生上の危険」とみなす動きが出てきていた。

 

フロリダではすでに、保護者の同意に関わらず、16歳未満のソーシャルメディア利用を禁止する法案が1月24日議会を通過している。

 

そこへニューヨーク市も、「巨大IT企業がこどものプライバシーを利益に換え、心の健康を危険にさらすのを見過ごすことはできない」として、保護者には少なくとも14歳までソーシャルメディアを使うための機器を与えないよう促すようになっていることを報じたもの。

 

 

・・・スマホタブレットを子どもに渡すことは危険すぎるという自分の対応に確信を持ちつつも、一方で、日本における懸念点がある。

 

 

それは、「アメリカで反スマホ・反タブレットが一般化するほど、巨大IT企業は売れる先を求めて、日本によりアプローチしてくるのでは・・」というもの。

 

巨大になりすぎたIT企業は、売り上げを維持・向上するために、いまだに規制が甘々な日本を狙い撃ちする可能性がある。

 

 

・・・そして、アメリカからの圧力には、めっぽう弱いことで有名な日本。

 

 

 

・・・・うん、政治家のおじいちゃま方が、孫世代の子どもたちの脳を守るために、一肌脱いでくれることに淡すぎる期待を抱きつつ、自分の身は自分で守るようにしよう。

 

 

コントロールを緩めるためには・・?

 

今週、こんな記事がタイムラインで流れてきた。

www.asahi.com

 

児童福祉に身を置くものとしては、ようやくそこにも

お国が指摘するようになったか、という感想。

 

 

一時保護という制度は、子どもをそれまでの生活環境から切り離す、特に子どもにとって非常に負荷が高い仕組みである。

 

ちなみに、親側の視点で、なぜうちの家庭で保護されないといけないのかというメッセージがネット界隈でよく流れるが、一時保護は、「子どもの福祉のため」に、子どもを一時的に「保護」するためのものに留意する必要がある。

 

それが本当に「子どもの福祉のため」になるのかに関しては慎重な議論と判断が必要になるが、その点について自分が語ることには分不相応だと思うので、また別のお話。

 

記事内でも書かれているように、一時保護という公的なシステムについて、国がガイドラインは示したものの、実際の運用は自治体に委ねられていた。

 

つまりは、自治体の各種事情によって、独自のルールや基準に沿った運用がなされており、その実態が子どもの権利侵害にあたるのではないかという意見が出るようになってきていた。

www.asahi.com

 

 

・・・子どもへの権利意識は、文化・文明が成熟するほどに高まる傾向にある。

 

子どもというのは、成長途上の存在なので、その力はまだ発揮されにくく、その分、大人の力でコントロールしうる存在である。

いわば大人の都合で我慢を強いられたり、搾取されやすい存在である。

 

そのことに大人が甘んじてなかなか改善されがたかったシステムに、ようやく日の光が当たるようになった。

 

 

一方で思うのは、

「質」を高める議論をする前に、まず「量」が圧倒的に不足している現状を改善する具体的な手立てが必要ではないか、ということ。

 

冒頭の記事内でも触れられているが、自治体によっては職員や予算の不足が深刻であり、基準に沿った運用がそもそも困難な様子。

自治体で子ども関連予算が増えてほしいというのは、児童福祉に身を置くものとしてどうしても願ってしまうが、無い袖は振れないというのもまた真実だと思う。

 

 

そもそも、キレイごとだけ言って、実際に手を動かさないような人間は、現場からは嫌われがち。

 

「こうしたほうがいい」とか「こうすべき」ばっかり言うくせに、実際には家事は妻任せにする夫は、嫌われるだろう

高すぎる目標を掲げて、そのために現場にブラック労働を強いて、それを見て見ぬふりをする上層部ばかりの会社は、いずれ廃れていくだろう。

 

もちろん理想に向かっていく姿を示す役割も重要だろうし、そういった役割の人たちは、現場以外で手を動かしているのだろう。

 

ただ、現場で手を動かせないにしろ、現場への感謝や労いとともに、現場が活き活きと動きやすいようなシステムを構築していくことが、「口しか出せない」立場の人の役目だとも思う。

 

 

「一時保護所が、自治体の独自の基準で、子どもの福祉にならない形で子どもに我慢を強いている現状がある!」と子どものためにならないコントロールを憂いながらも、

「だから国の統一基準で、自治体をコントロールせねば!」として、自治体をコントロールするのは、構造としては一緒。

 

その統一基準が実現できるような予算をドーンと国から自治体にあげられれば一番わかりやすいだろうが、それが諸般の都合で難しいにせよ、

その基準に沿うために、どれくらいの人員や設備が必要かを検討し、その実現可能な範囲を自治体ともに見極めていくような動きが、国には必要だと思う。

 

 

・・・子育て支援を生業にしていて、常々、

「ケアする人こそ、ケアされる必要がある」

と感じている。

 

つまりは、子どもをケアしている人に無理を強いるのではなく、子どもをケアしている人こそ、ゆとりと余裕をもって子どもと関われるように、ケアされる必要がある、ということ。

ケアする側にゆとりや余裕がないほど、子どもをケアする以上に、コントロールしようとしまいがち。

 

 

そのためには、子育てのあり方に高い「質」を求める以前に、子育てに人手が足りているかという「量」に目を向ける必要がある、と思う。

 

「質」を上げるより前に、「量」を上げることにまず、手を付けてほしい。

 

 

・・・どこかで、子育てや子育て支援に対する「質」と「量」について、まとめてみようかな。

 

 

 

 

 

「主張強め」な昨今の娘氏

何となく、今年で保育園の卒園&小学校入学で何かとある息子氏の陰で、

Blog上も投稿が少なくなりがちだった娘氏(2歳半)の近況を書いてみる。

 

 

最近の娘氏は、一言でいうと「主張強め」。

 

さすが二人目、といった感じ。

あと、発達的にも、自我が目覚めてくるころ、というお年頃。

 

 

まぁ、主張しなかったら兄・息子氏に好き勝手されちゃうからな~。

 

「私の!」「○○ちゃんの!!」という叫び声が、毎日のように聞こえる。

 

 

自分の服も、自分で選びたがるので、お着替えは時間がかかりがち。

そして1週間に何度も、同じコーディネートが出現しがち。

 

最近は、寝る前に、自分だけ枕がないことに気づき、横にあった私の枕を

「私の!!」と、強奪された。

 

 

・・ただ、考えてみれば、我が家には、娘氏のみのもの、というのが比較的に少ない。

 

息子氏は、発達特性としても視覚的に自他の境界がはっきりしたほうがよいというのと、単純に好奇心旺盛な娘氏に息子氏の持ち物を蹂躙されないよう、息子氏専用スペースを、昔使っていたベビーゲートで仕切って分けられていた。

 

しかし、娘氏の専用スペースは、まだない。

 

 

あと娘氏は、2人目な分、息子氏のおさがりの服、おもちゃ、絵本がどうしても多くなっている。

もちろん、まだおさがっていないおもちゃや絵本も、息子氏専用スペース内にいっぱいある。

 

娘氏が、息子氏専用スペースを仕切っているベビーゲートをよじ登って、羨ましそうに中を見ていることも日常茶飯事。

 

 

・・そういえば、娘氏の肩回りが、やや「主張強め」な肉付きをしているのは、そのせいかもしれない。

 

娘氏の好奇心が、意図せぬ形で、娘氏の「(リアルな)力」になっている・・・。

 

 

 

・・・今回、娘氏にフォーカスをじっくり向けてみたが、我ながら、息子氏の卒園&入学に気を取られて、娘氏の発達や近況を丁寧に見ることができていなかったのかもしれない。

 

 

「主張強め」な娘氏の、そうなりがちな理由を、改めて、じっくり考えていきたい。

 

 

 

適切な対策はいつでも、的確な現状理解から始まる。

 

 

仕事を通して得た教訓を噛みしめながら、娘氏にも引き続き向き合っていこう。