今週、こんな記事がタイムラインで流れてきた。
児童福祉に身を置くものとしては、ようやくそこにも
お国が指摘するようになったか、という感想。
一時保護という制度は、子どもをそれまでの生活環境から切り離す、特に子どもにとって非常に負荷が高い仕組みである。
ちなみに、親側の視点で、なぜうちの家庭で保護されないといけないのかというメッセージがネット界隈でよく流れるが、一時保護は、「子どもの福祉のため」に、子どもを一時的に「保護」するためのものに留意する必要がある。
それが本当に「子どもの福祉のため」になるのかに関しては慎重な議論と判断が必要になるが、その点について自分が語ることには分不相応だと思うので、また別のお話。
記事内でも書かれているように、一時保護という公的なシステムについて、国がガイドラインは示したものの、実際の運用は自治体に委ねられていた。
つまりは、自治体の各種事情によって、独自のルールや基準に沿った運用がなされており、その実態が子どもの権利侵害にあたるのではないかという意見が出るようになってきていた。
・・・子どもへの権利意識は、文化・文明が成熟するほどに高まる傾向にある。
子どもというのは、成長途上の存在なので、その力はまだ発揮されにくく、その分、大人の力でコントロールしうる存在である。
いわば大人の都合で我慢を強いられたり、搾取されやすい存在である。
そのことに大人が甘んじてなかなか改善されがたかったシステムに、ようやく日の光が当たるようになった。
一方で思うのは、
「質」を高める議論をする前に、まず「量」が圧倒的に不足している現状を改善する具体的な手立てが必要ではないか、ということ。
冒頭の記事内でも触れられているが、自治体によっては職員や予算の不足が深刻であり、基準に沿った運用がそもそも困難な様子。
各自治体で子ども関連予算が増えてほしいというのは、児童福祉に身を置くものとしてどうしても願ってしまうが、無い袖は振れないというのもまた真実だと思う。
そもそも、キレイごとだけ言って、実際に手を動かさないような人間は、現場からは嫌われがち。
「こうしたほうがいい」とか「こうすべき」ばっかり言うくせに、実際には家事は妻任せにする夫は、嫌われるだろう
高すぎる目標を掲げて、そのために現場にブラック労働を強いて、それを見て見ぬふりをする上層部ばかりの会社は、いずれ廃れていくだろう。
もちろん理想に向かっていく姿を示す役割も重要だろうし、そういった役割の人たちは、現場以外で手を動かしているのだろう。
ただ、現場で手を動かせないにしろ、現場への感謝や労いとともに、現場が活き活きと動きやすいようなシステムを構築していくことが、「口しか出せない」立場の人の役目だとも思う。
「一時保護所が、自治体の独自の基準で、子どもの福祉にならない形で子どもに我慢を強いている現状がある!」と子どものためにならないコントロールを憂いながらも、
「だから国の統一基準で、自治体をコントロールせねば!」として、自治体をコントロールするのは、構造としては一緒。
その統一基準が実現できるような予算をドーンと国から自治体にあげられれば一番わかりやすいだろうが、それが諸般の都合で難しいにせよ、
その基準に沿うために、どれくらいの人員や設備が必要かを検討し、その実現可能な範囲を自治体ともに見極めていくような動きが、国には必要だと思う。
・・・子育て支援を生業にしていて、常々、
「ケアする人こそ、ケアされる必要がある」
と感じている。
つまりは、子どもをケアしている人に無理を強いるのではなく、子どもをケアしている人こそ、ゆとりと余裕をもって子どもと関われるように、ケアされる必要がある、ということ。
ケアする側にゆとりや余裕がないほど、子どもをケアする以上に、コントロールしようとしまいがち。
そのためには、子育てのあり方に高い「質」を求める以前に、子育てに人手が足りているかという「量」に目を向ける必要がある、と思う。
「質」を上げるより前に、「量」を上げることにまず、手を付けてほしい。
・・・どこかで、子育てや子育て支援に対する「質」と「量」について、まとめてみようかな。