元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

入学準備がそろそろ終わる中で

 

今月に入って、ようやく学童が正式に内定した。

 

自治体によるのだろうが、3月になるまで学童に行けるかどうかわからないかった。

 

落ちる可能性は低いと言われていたが、もし決まってなかったら、夫婦どちらかが正社員やめてパートや他の仕事をせざるを得なかったので、一安心。

 

 

そうなったら、「学童落ちた日本○ね」的な記事をあげていたと思う。

 

・・・いやマジで。

 

 

共働き家庭にとって、いまや学童は必要不可欠な資源です。

newsdig.tbs.co.jp

 

 

保育園の待機児童問題や保育士さんの待遇改善はかなり議論にあがってくるようになったけど、学童に関する議論は比較的に少ない現状がある。

 

ただ学童に入れるかどうかは、先月の自分の記事どころじゃなく、まじでリアルな「小1の壁」です。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

さらにもう少し小さな「小1の壁」として懸念材料だった、4/1から入学式の間の10日ほど、学童が預かってくれることも確定した。

慣らし保育的に、短時間から始めるというのはあるとはいえ、最悪、夫婦入れ替わりで有休をとり続けるいう想定もしていたので、これまた一安心。

 

 

今週末、学童入会の説明会、書類提出も終えた。

 

・・・これでようやく、入学に向けた学童・療育の調整や、入学準備に関するものは、一通り終えた(と思う・・ドキドキ)

 

 

そんな記念というわけではないが、今月届いたランドセルと入学式用のスーツを装った息子氏を、卒園式前ながらパシャリと収めておいた。

 

 

 

 

・・・いやー、何が大変って、時間のやりくりも大変だったとはいえ、やりながら、これがOKならこう、これがNGだったらこう、みたいな複数の未確定情報とその後の選択肢を念頭においておきながら日々を送るという、脳のキャパ的な大変さがなかなかだったと思う。

 

あとは地味に、先月の記事にも書いた「全ての持ち物への記名」もなかなか大変だった。

 

もちろん、名前スタンプを「押し続ける」だけなので、「書き続ける」よりは楽だったかもしれない。

 

ただ、Blogに書くことも見据えて、ざばっとであるが、測ってみたところ、

合計で3~4時間は、ひたすらスタンプを押していた。

 

 

ついでに、これまた多少の誤差はあると思うが、合計337か所に名前スタンプを押した。ちなみにそのうち189か所は、計算カードである。

 

もちろん他にも、これまで述べてきたような入学準備への時間、具体的には、書類を書いたり提出したり、各種の説明会に参加したり、そのことについて夫婦で話し合ったり調整したり、といった諸々の時間がある。

 

合計で何十時間、何百時間を入学準備に費やしたのだろう・・。

 

 

ただでさえ仕事+子育ての時間で日々がかつかつなのに、よくやったと思う。

 

 

 

あと、これを日本全国の新小学1年生の保護者が行っていると思うと、本当に頭が下がると同時に、より効率的な方法を生み出す方向に多くの人の知恵を絞れば、かなり良い子育て支援になるのではと、割と真剣に思っている。

 

 

とりあえずは、自分と妻を誉めてあげたい。

 

そして、余裕の少なくなった親に粘り強く付き合い、日々の変化にめげずに生活を送る子どもたちも、誉めてあげたい。

 

 

もうすぐ春が、訪れる。

 

 

 

 

 

 

あの日あの時あの場所にあった「歯」

 

昨日、息子氏6歳1か月にして、初めて歯が抜けました。

 

ここ1週間ほど、「歯がグラグラする~」「食べにくい~」と言っていたり、どうしても気になって触ってしまい注意したりしていたのだが、昨晩、寝室に行ってから「とれた~」とあっさり。

 

 

確か歯が最初に生えたときの記事があった気がする・・とBlogを遡ってみたところ、生後7か月ごろだった。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

あの時に生えた歯が抜けたのか・・・とBlogを振り返って見てしみじみしている。

 

 

1~6歳の誕生日ケーキやクリスマスケーキを食べた時も、運動会や発表会の後のお疲れ会のお食事の日にも、旅行に行った時にも、あの時にも、この時にも・・・

 

そこには当たり前のようにこの「歯」があった。

 

 

・・おそらくこれだけ感慨深く感じるのは最初の1本くらいだろうが、それでもいい。

 

 

この歯は、間違いなく、5年と4か月の間、息子氏の食事を支えてくれた「歯」なのだ。

 

 

抜けた歯、今までありがとう。

新しい歯、待ってるぜ!

 

 

雛祭りを過去イチでちゃんとしてみながら考えたこと

 

娘氏、2歳半。

 

娘氏が爆誕してから、これまで2回ほど、3月3日が来ているはずだが、息子氏と娘氏が保育園の制作から持ち帰ったお雛様をちょいと飾るだけで、それ以上のことはせず、なんとなくスルーしていた。

 

2度あることは3度ありそうな気がしていたが、親からお雛様を飾ってほしいと要望あり。

 

・・世代差はあれど、やっぱ女の子と言えば雛飾りよね。

 

 

とはいえ、実家にあるようなものは大きすぎて、飾る場所と、あとはぶっちゃけ、飾って片づける時間が惜しい。

 

そんなこんなで、箱から出して置くだけですむ雛飾りを購入。

雛人形  名前旗付 【選べる24種類】 review-red:恵月人形本舗楽天一位だそうで、やっぱりニーズはあるところにはあるのだと納得 笑)

 

すべて最寄りのスーパーの出来合いのものながら、ちらし寿司、ひなあられ、菱餅などもそろえてみる。

 

有難い世の中になったものだ。

 

 

・・改めてちゃんと準備しながらしみじみ思っていることとして。

「女の子の健やかな成長を願う」ことを、昔は家族・親戚で祝っていたのだから、それだけ子どもが育つというのは貴重で有難かった、ということ。

 

 

 

今は、子どもが育つこと自体は医学・医療の進歩で十分に可能性が上がっているといえるが、その一方、

少子化がとまらない現代日本においては、「子どもが生まれる」こと自体が貴重になってきている。

 

昨日見つけた記事で、よく言われてきていることでもあるが、実際に現代の若者の多数が、子どもを授かることに明るい希望が見えがたい世の中になってしまっている。

 

www.huffingtonpost.jp

 

幸せの形はそれぞれであろうし、女性にとっては子どもを産み育てることこそが幸せの形、みたいな価値観はすでに過去のものである。

 

ただ問題は、それ以上に、授かりたくても現実的には産み育てることが難しいのではないか、という雰囲気だと思う。

 

それは、日本経済の見通し辛さもあれば、夫婦共働きしながらの子育て、キャリアアップしながらの子育て、みたいなことが難しいのではないか、という思いもある気がしている。

 

 

一方で、上記の記事内にも書かれているが、妊活を経て子どもを授かった経験のある女性のうち、65.0%が「若い頃に妊娠・出産に関する正しい知識を得ておきたかった」と回答していたりする。

 

日本の性教育が先進国の中で非常に遅れをとっていることは、昨今かなり詳らかになってきているが、子どもを持つという選択肢を、「漠然とした不安の中で何となく遅らせる」よりは、適切かつ確実な知識・情報を得ておくことは重要だと考える。

 

日本経済や日本の働き方を良くする的なことは政治家に任せるか自分で政治家になるか、後は投票するかくらいしかないし、

本来は学校教育の中で性教育をもっともっと充実すべしというのが私の考えではあるが、現状では各自が知識・情報にアプローチしていくしかない。

 

・・・そんな考えを持つ私としては、せめて、そんな知識・情報に触れやすい状態をわずかでも作ることしかできないが、

知り合いの女性が中心的に活躍している会社で、女性の健康や妊活・性教育などに力を入れているところがあるので、リンクを貼って記事を終えておこうと思う。

famione.com

 

 

入学準備をしながら感じた「小1の壁」

ここ最近、就学前健診やら、入学説明会やら、体験入学やらが毎月のようにあり、しかもそれがすべて平日なので、共働きの我が家は仕事を夫婦で工面し合って参加したり、各書類の準備に追われたり、学童の申し込みをしたりしながら準備をしていた。

 

 

具体的に挙げると、

11月・・入学届提出@学校(私)と同時に知らされた、同じ月の就学前健診(妻)

12月・・学童申請に向けた書類準備と提出(私)

1月・・入学説明会と、そこで手渡される入学式までの必要書類・物品の準備(私)

    来年度の放課後デイサービスおよび、療育の更新書類の準備・提出(私)

2月・・体験入学(妻)

3月・・卒園式(夫婦ともに出席予定)。学童の説明会(私)

といった感じ。

 

 

・・・最近肩こりが強かったが、これらのことを未就学児2名がいる生活の中でプラスアルファしながらやりくりするのだから、そりゃ疲れるはずだ。

 

ちなみに、夫婦の分担は、他の家の用事や予定のことなどの兼ね合いで、夫婦で話し合いながら決めたので、分担割合にこの場を借りて文句を言いたいわけではない。

念のため。(逆に言い訳がましい・・?笑)

 

 

 

・・・自分自身、就学説明会にも参加して思ったこととして、ある意味で当然ながら、小学校というのは保育園とは違う場所であるというのと同時に、保護者の方も多様。

 

 

保育園というのは、ある意味で、親が日中に何らかの事情で自宅保育ができないという人向けのサービスなので(個人的には事情なくとも誰でも保育所を活用できる世の中であってほしいとは思うがそれはまた別のお話)、

なんだかんだ同質性が比較的に高い。

 

夫婦共働きの人が多かったり、あとは同じクラスの人数が一桁だったりして、似たような属性・背景の人が多い、ともいえると思う。

 

 

ただ、説明会にいた顔ぶれだけ見ても、おそらく20代の親も、40~50代の親もいる。

働いてないやろうな~みたいな髪色・風貌の人もいたり(偏見かもしれないが)、

すでに集まって情報交換している人もいたり、孤高な感じの人もいたり。

 

親の有りようで子どもの特徴が決定づけられるわけでもないが、公立小学校でもあるし、いろんなご家庭がいるのだろうな・・と、自分自身の仕事柄も相まって想像・妄想する。

 

あとは保育園は仕事の時間に合わせてお迎え時間が設定されるが、我が家は小学校+学童を併用することになる。

なので、学童はいつ決まるのか、春休みは4月1日から学童に行けるのか、長期休みはどうなるのか、とかの疑問・確認事項や、

給食がない期間はお弁当が必要、休むときには両方に連絡が必要、という日々のスケジュール確認をどうするかなどを、具体的に検討・実行することになる。

 

・・・うん、とりあえず、頑張ろう。

 

 

あともう一つ、絶望と希望の狭間の中で、歩み途中のタスクがある。

 

・・・それが「持ち物全てへの記名」である。

 

新たに買い揃えた、給食袋や箸・コップ・ナプキン。下敷き・鉛筆・消しゴム。

ランドセルに帽子。お道具箱と、その中にあるハサミ・のり・粘土たち。

あと何枚・何個あるかわからない計算カードや補助用品。などなど。

 

・・・とりあえず、名前スタンプすることを発明した人には、心の底から感謝しながら、合間の時間で進めている今日この頃。

 

子どもが生まれたらすべての家庭に自治体がお祝いがてらの名前スタンプを配ったら、結構な子育て支援サービスじゃなかろうかと妄想していたりする。

(ちなみに我が家はこれを保育園入園時に買ってました:【楽天市場】お名前スタンプ スタンダード22点セット 【入学専用】 

 

ついでに、もう終えてはいるけど、子どもの名前や住所にはじまり、予防接種歴・発達歴あたりを、何度手で書かせたら気が済むのか、というくらいな思いでいる。

 

それこそ健診とか、保育園入園時とか、療育に通うようになったときとか。

 

 

・・・デジタル庁さんにはもう一息、頑張っていただき、個人情報保護とか後で考えてもらったらいいので、ピッと読み込める何かしらを早く開発してほしい。

なんならWordで書ける書式をQRコード化してもらうだけでもいい。

 


あ、ついでに、高くて重いランドセルはもういいから、安くて軽いランリュックがデフォルトになってほしい。

なんなら、七五三のときにレンタルできる和装のように、写真撮影のときだけレンタルできるような仕組みができたらなお有難い・・・。

 

 

 

・・・子育てをしていると、こんな風にさまざまな要望を胸に抱く。

 

少なくない数の大人が子育てをしているはずなのに、これらのことを改善するムーブメントがなぜ起きないのだろう、とすら考えるが、答えは出ない。

 

子育てに忙しすぎて、喉元をどんどん過ぎてしまい、その都度の熱さを忘れてしまうからなのかもしれない。

 

そう考えると、そういったムーブメントのためにも、まず子育てしている人が、もっと余裕を持ちつつ社会参加できる世の中になってほしい。

 

 

・・おっと、また新たな要望が出てきてしまった。

 

まぁ、せっかくなので、喉元過ぎて熱さを忘れることのないよう、こちらに書き留めておこう。

 

 

そんなこんなで、所謂「小1の壁」を小学校入学前に感じつつ、何かとある年度末を乗り切るべく・・

・・・うん、とりあえず、頑張ろう。

 

 

危うい最後の発表会

 

昨日、息子氏の最後の生活発表会だった。

 

思い返せば、昨年は、息子氏は初めてインフルエンザ明けで一日登園したら生活発表会というなかなかのギリギリっぷり。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

 

今年はどうなるか・・と思っていたら、生活発表会の前々日の夜、38度の発熱をだす息子氏。

 

 

今年度ほぼ体調不良の欠席はなかったのに・・・と、

インフルエンザとかコロナが流行っている昨今なので既に絶望的。

 

 

てか保育園もこんな感染症が流行りやすいときにやるなよ~という

よくわからない飛び火を、脳内で保育園に飛ばしつつ。

 

 

・・・と思ったら次の日(生活発表会の前日)の朝は平熱に戻る。

 

お、いけるか?いずれにせよ今日は流石に休みやな。

 

 

 

 

・・・と思ったら、昼から再び熱が上がり始める。

 

あぁ今度こそ、息子氏の保育園最後の晴れ舞台、オワタ。

 

 

 

・・・と思いながら夜に受診したら、インフルエンザもコロナも陰性。

食欲もなかったので、おそらく胃腸風邪だろうと。

 

お薬ももらったし、息子氏の調子次第ではいけるか・・?

親の身勝手な気持ちとしては、やはり見たいぞ・・。

 

 

そんな親としての葛藤も抱えながら迎えた、生活発表会の当日。

 

 

熱はない。食欲も出てきている。

息子氏も、頑張ってきた自負もあってか、行きたいという。

 

 

よし、行こう。

 

 

 

・・・と思ったら、出発の30分くらいから、息子氏が

「やっぱり発表会いかなくていい?」と聞いてくる。

 

 

着替えもすましているので、行くつもりはしていたはず。

 

またお腹が痛くなったのか、それともここ数日練習してないから自信がないのか。

 

・・率直に息子氏に聞いてみると、後者だとのこと。

 

 

まぁそりゃそうよな。

 

もしかしたら、行ってほしい親の身勝手な思いも伝わって、行かないといけない雰囲気にさせてしまったのかもしれない。

 

 

・・・しばし考える私。

 

ここで休んでも、体調不良ということで、言い訳は立つ。

ただ息子氏の人生にとって、頑張ってきたことを自信がないからとチャレンジしないことは、果たして良いことなのか・・。

 

 

いや、違う。

 

どんなに自信がなかろうが、これまで頑張ってきた息子氏の努力は消えない。

 

今の精一杯の息子氏の発表ができれば、それだけで100点満点、120点満点なのだ。

 

もしそれで誰かが息子氏の発表に対して文句を言ってきたり、怒ってきたりしたとすれば、それは相手がおかしい。

 

そんな奴には私がむしろ文句を言って、怒ってやる。

 

 

・・・と、気づけば息子氏にほとんどそのまま話していた。

 

どれだけ理解してくれたのかはわからないが、息子氏は車に乗り、登園した。

 

それから園に入るまで、行き渋ることはなかった。

 

 

そして本番。

 

演目は、劇・歌「ブレーメンの音楽隊」。

事前に知らされたが、園児それぞれ、一人で台詞を言ったり歌ったりするシーンがある。息子氏は犬役で登場するはず。

 

 

お、息子氏が出てきた・・・

顔が緊張している・・けど台詞はちゃんと言えている・・・

 

 

・・・おっと、涙腺が危うい。

 

 

 

・・・と気づけば、観劇している親たちのすすり泣きが聞こえる。

 

 

 

そう、息子氏はもちろんのこと、子どもたちは本当に頑張っていた。

 

 

劇・歌が無事に終わり、惜しみない拍手が親たちから送られた。

 

 

本当に成長したなぁ。

 

 

見れてよかったよ。

 

本当に。本当に。

 

 

 

・・・ちなみに娘氏も、息子氏の少し前に発表を終えていた。

 

昨年はギャン泣きだったが、今年は、クラスで一番上手に踊れていた。

(親バカフィルターが発動していようがしていまいが、そんなことはどうだっていい)

 

 

 

 

今年の発表会は、危うかったながらも素晴らしい想い出として、私は一生、忘れない。

 

 

子育てにおける「質」と「量」

 

一時保護所に国が統一基準を設けるという報道から、子育てや子育て支援における「質」と「量」について思うことを、先月少し書いてみた

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

冒頭の記事に書いたように

子育てのあり方に高い「質」を求める以前に、子育てに人手が足りているかという「量」に目を向ける必要がある、と思う。

「質」を上げるより前に、「量」を上げることにまず、手を付けてほしい。

と自分は考えている。

 

そのことについて、もう少しだけ話を深めてみる。

児童相談所の人員は、この5年くらいで倍増する計画があり順調に増員中らしいが、それでようやく、「児童福祉司」という児童相談所における中心的役割の人々(イメージとしては警察における警察官にあたるような人)が、6,850名になる。

これは、日本の人口比で言うと約2~3万人に1人の計算。

 

ちなみに警察官は、約25万人。人口比で言うと約500人に一人。

 

そりゃ大人と子どもでは人口も違うだろうけど、二桁も違っていいものなのかな・・?と率直に疑問に思う。

 

ちなみに、単純な海外比較には慎重になったほうがいいとはいえ、先進国内でも「児童福祉司」と似たような役割の人たちは、人口比でもう一桁ないし二桁くらい多くいる。

 

 

 

あと、良く知られるようになってきたが、働く親たちの強い味方、保育士さんたちの人員も超・少ない。給与も、以前よりは上がってきたが、まだ全産業平均より少ない現状がある。

 

日本の保育所では2023年度現在、保育士1人に対して、0歳児は3人、1~2歳児は6人、3歳児は20人、4~5歳児は30人というのが国としての最低配置基準となっている(児童福祉施設の設備及び運営に関する基準 第33条)。

 

なお、この基準は、「異次元の少子化対策」の一環として、2024年度から76年ぶりに見直される。

具体的は、4~5歳児の基準は保育士1人に対して30人から25人へ、3歳児の基準も20人から15人へ、見直される予定。

 

基準が制定された1948(昭和23)年当初と比較して、3歳未満の児童への配置基準は改善されてきたものの、3歳以上の児童に対する配置基準はほとんど変化がなかったことを考えると、画期的なようにも思える。

 

 

・・・ただ、子育て経験があったりすれば容易に想像がつくのだが、一度に0歳児を3人まとめて保育するのも、4~5歳児を25人まとめて保育するのも、この世の仕事の中で最も困難ではないかと思えるくらいの無理ゲーだと思う。

 

 

プロだからできるっていう代物でもないと思う。

 

 

基本的に、人間には手が二本しかない。目も二つしかない。脳みそは一つしかない。

 

 

どうあがいても、3人まとめて抱っこすることはできないし、25人のランダムに動く子どもを二つの目で危険がないように追い続けることもできない。

 

そんなどうしようもない無理ゲーの中で、全ての保育現場で、なんとかチームプレイで乗り切っていたり、保育士さんの健康やら子どもの安全やら何かしらを犠牲にしながら過ごしているのが現状。

 

本当に、頭が下がる。

 

ちなみに、経済協力開発機構OECD)に参加する他国の基準ではそもそも、20人を超える3歳以上の子どもを、1人の保育者がアシスタントなしに担当することは想定されておらず、日本の配置基準はOECD参加国中で最多だったりする。

 

 

・・・日本の子育ての現実は、まだまだ「異次元」なように思える。

 

いちおう政府も、シルバー民主主義と揶揄されたり、先進国最悪とも言われるくらいの厳しい財政状況があったりながらも、2023年末にようやく、少子化対策として総額3.6兆円規模の「こども未来戦略」をとりまとめている。

 

さらにお金を投下する計画もあるようだが、少子化の波が止まらない現実に、どれほどのお金の「量」を投下したら変化が生じるのか。それまで日本がもつのか。

 

のっぴきならない問題であることには変わりない。

 

 

・・・・“It takes a village to raise a child”というアフリカのことわざを去年教えてもらった。

 

直訳すると「子ども1人を育てるには1つの村が必要」みたいな意味になる。

 

人間が成長していくためには、村など社会全体からの、多様な人の知恵・愛情・力などが必要ということで、地域ぐるみの子育て、社会全体での子育て、を指す言葉として、世界中で引用されている。

 

このことわざを思い出すたび、子育ての「質」以上に、ある程度の「量」としての人出が子育てに必要だと感じさせられる。

 

 

さぁ、日本はどうなるか。

 

 

1年越しの乗車

 

息子氏には、1年前の誕生日で、自転車にもなるストライダー的なものを買い与えていた。

childcare-support.hatenablog.jp

 

 

ただ、この1年間、ついぞ息子氏は乗車することなく、玄関の一定空間を占めるのみとなっていた。

 

 

そこへ昨年末ごろから、娘氏が、息子氏が同じくらいの年齢のときに乗っていた手押し三輪車に乗るようになり、息子氏もついでに何か乗りたい欲が高まるように。

そこへこれまた、買ってはみたものの、玄関の一定空間を占めるのみになっていたストライダーに乗り出すようになった息子氏。

 

 

もう6歳間近の息子にとって、ストライダーというのも今更かなと思いつつ、そのお手頃感が良かったようで、息子氏にとっては、ちょうどよい玩具になった。

 

 

間もなくストライダーを乗りこなすようになった息子氏は

「生まれ変わったみたい~♪」と大いに喜んでいた。

 

それから数か月、息子氏がいつも以上に、玄関に置きっぱなしになっていた自転車をみて、なんならまたがってみたりしていた。

 

1年前~半年くらい前まで、たまに乗車を促しても、100%「嫌!」と言われていたので、いつの間にか言わなくなっていたお誘いの言葉をダメもとで。

 

 

私「乗ってみる?」

 

息子氏「うん!」

 

 

おぉ、まじか、息子氏。

 

その良い返事、予想してなかったわ。

 

 

さすが6歳になった息子氏は一味違うな。

 

 

 

・・・ということで、1年越しの乗車。

 

これまた、間もなく、問題なく乗りこなすようになる息子氏。

 

 

 

・・・大人の役割って、本人がちょっと一歩踏み出しやすいような環境やきっかけ作りくらいで、それらが整えば、あとは待つのみなんだなぁ。

 

無理やり急かしても、無理な時は無理なんだなぁ。

 

そんな、言われてみればそりゃそうだよね~的な言葉を、改めて噛みしめながら、見通しが持てずに待ち続けるのもなかなか大変だなぁと感じていた自分自身を振り返る。

 

 

 

・・・うん、もっと、息子氏の成長を信じよう。

 

 

自分ができる範囲で、環境を整えながら、ね。