元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

喉ガラガラやんけ

先週末、人生初の39℃熱を体験した息子氏は、

日曜にはましになったものの熱がなかなか下がり切らず、

今週は木曜・金曜だけ再び数時間ずつの慣らし保育を終えた。

 

そして今日、息子氏が起きると・・・

 

「ちょ、おま、喉ガラガラやんけ!!」

 

と思わず突っ込みたくなるほどのハスキーボイス。

 

引き続き何かしらをもらってきたらしい。

 

 

・・・先輩パパママたちによると、保育園には

色んな子どもが持ち寄って凝縮されたさまざま菌たちがいるので、

入園して半年~1年くらいはその洗礼を受け続けることになるらしい。

 

 

あー怖。

 

 

人生初の高熱

一昨日、無事に保育園入園を果たした息子氏は、

昨日、お試し保育初日のわずか数時間で何かしらをもらってきたらしく、

本日、夕方に人生初の39℃熱を叩き出した。

 

息子氏は、どうやら影響されやすいタイプらしい(違

 

とりあえず妻がかかりつけの小児科に言ってくれて、

初めての高熱に伴い、初めての座薬を使用された息子氏。

 

早速の試練やな、息子氏。

 

 

 

 

・・・この出来事は、これから起きる悲劇のほんの序章にすぎないことは

まだこの夫婦は気づいていなかった…

 

みたいなナレーターが聞こえる気がするが、

気のせいという事にしておこう(gkbr

 

入園

今日、息子氏が保育園に無事入園した。

 

思えば、保育園の事前見学をしたり、

都市圏に住む親御さんよりは断然少ないだろうが

第一希望以外の保育園を回って保活っぽいことをしたり、

第一希望の保育園の合格通知をもらって一安心したり、

入園前検診やら諸々の準備をしたり。

 

ようやく一段落。

 

 

 

・・・そして息子氏にとっては試練の春。

 

明日から数時間ずつ慣らし保育が始まり、

徐々に保育時間が伸びていき、GW前には妻も職場復帰。

 

親と離れて過ごす時間がどんどん増えていく。

 

 

さて、どうなることやら。

 

元・育休パパとして不定期ながらBlogを続けていくことにした春

 

4月になり、育児休業が明けた。

 

そしてこのBlogも、正直1~2ヶ月更新が途絶えたことも度々あったり、

夏休みの宿題みたいに追い込んで書き終えてきたところも多分にあるが、

とりあえず前半は毎日1個、後半は2日に1個、というペースで合計273の記事が出来上がった。

 

 

 

・・・振り返ってみて、もともと育児休業中の記録を残すという意味で始めたが、

その時々の自分自身の考えや体験に向き合い、言語化するという取り組みは、

他でもない自分自身にとって有益であったと思う。

 

 

 

正直、いろいろしんどい思いでいっぱいになった日もあった。

 

自分の過去・現在・将来について、目を背けたいような思いに

向き合わざるをえないように感じたときもあった。

 

その一方で、ちょっと余裕がある時間を過ごせる日が

とても愛おしく感じたりした。

 

 

 

・・・最近、近くにお花見に出かけたのだが、

一日が穏やかにスーッと過ぎていく感じが、

桜の儚い感じと自分の中で重なり、ちょっとウルッときた。

 

 

子どもができると涙もろくなると職場の同僚(先輩パパ)から

聞いたことがあるが、本当やな。

 

 

今は夫婦もそろって、息子氏も健康でいてくれているが、

そんな平穏な日常って実は儚い、と思う。

 

 

縁起でもないことだが、私たち夫婦が何かの事情でいなくなってしまって、

息子氏が虐待的な環境にいかざるを得なくなる可能性だって、ゼロではない。

 

そんなときに、こんなふうに穏やかだった日の思い出が、

息子氏の心の中に一つでも残っていてほしい。

 

・・・そんなことを何となく思ったら、ウルっときてしまったんです。

 

 

でもこれって、ある意味で今がすごく

「幸せ」だと感じることができたからかもしれない。

 

 

これまでの人生、結構せかせか生きてきた自分が、

こうやって穏やかな時間を過ごすことで、改めて感じることができた気持ち。

 

 

これは、私が育児休業を取って、

仕事の時間を思い切って減らすことができたからこそ、

ふと感じることができた気持ちである。

 

・・・ありがたや、ありがたや。

 

 

 

 

ただ、育児休業が終わっても子育てする日常はずっと続いていく。

 

 

仕事に本格的に復帰したら、また自分はセカセカしてしまうかもしれない。

 

妻も育児休業明けは慣らし保育のあとだが、

息子氏は保育園に行って熱も出したりもするだろう。

 

 

そんな日常の中では、自分と向き合う時間はもっと作れなくなっていくと思う。

(これまでも定期的な更新に度々失敗してきたので、

 もうそこに関しては自分を信頼しないことにした 笑 )

 

 

ただ、口下手な自分は、こうやって文字にするほうが

より雄弁に、より自分に正直に語りやすかったりもすることにも気付いた。

 

 

そして自分を見失いがちな私にとって、自分と向き合う時間を

時々にでも確保することは、なんとなく自分にとって大切な気がしている。

 

 

そうやってふと自分を振り返って、とりあえずまとめるという作業が、

その時々の自分の思いに区切りをつけたり、

次に進むために必要な時もあった気がする。

 

 

・・・ということで、ニーズがどれくらいあるかわからないけど、

いまだに時々のぞきに来てくれる人がいるこのBlogを、

元・育休パパとして、不定期ながら続けていくことにしました。

 

 

何か思いついたときに、そのとき思うことを

ただツラツラと書いていこうかと思っています。
 

 

さて、いつまで続くやら。

乞うご期待!?

 

育児休業と福祉

4月に育児休業から復帰するということで、

「児童福祉業界にいる自分が1年間+αの育児休業をとってみた」ことについて

またいろいろと思うことがでてきているので、覚書。

 

 

・・・自分が長期といえる育児休業を取る決心をし、

邁進してきた理由としては、振り返ってみるといろいろある。

 

もちろん、まだ男性の育児休業が社会的に浸透しきっていない中でのことであるし、

周囲の多大なる協力もあって実現できたことは大前提であるが、

あくまで自分の中での理由に絞り、

すでに何度か振り返っている過去記事をもとにもう一度まとめてみる。



・息子氏の誕生に伴い、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、

 子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じた(2018/02/01記事より)


・自分の成育歴から、妻にワンオペ育児をさせたくなかった(2018/11/24記事より)


・過去や現在の職場でハードモードの子育てを見ていた分、

 子育て自体へのハードルが高く、ビビってしまっていた(2019/02/06記事より)


・子育てに対して、「当事者」として、仕事を離れてでも
 ちゃんと向き合ってみたかった(2019/03/28記事より)


・・・これくらいかな。確かに。

 

あとは率直に、 「我が子の成長を身近で見たり感じたりしたかった」とか

「我が子とたくさん関わりたかった」というのも結構強いかも。

 

 

 

これらの振り返りを、さらにメタ的に振り返ってみると、

「子どもができるという家庭内の大きな変化の中で、

 育児にコミットメントしたいという自分なりの必然性を感じたものの、

 それまでと同じように働きながら育児にコミットメントすることは難しいと感じた」

から育児休業を取った、ということになると思う。

 

 

 

 

・・・今や日本総「人手不足」社会といっても過言ではないくらいの状況で、

これからは全業種の人手不足がどんどん進行するであろうが、

福祉業界は特に、だいぶ前から「慢性的な人手不足」な業界である。

 

高齢者福祉でも障害者者福祉でも児童福祉でも、

一定水準以上の「福祉の質」を確保しようと思えば、

人数的な意味のマンパワーが必要不可欠である。

 

しかし現実は、十分とは到底思えない人員配置の中で、

スタッフ自身の精神衛生やら福利厚生やらも犠牲になりながら、

ただみんな「精いっぱいやっている」から成り立っていると思う。

 

やりがい搾取と揶揄されるのも無理ない。

  

 

対人援助サービスは、巷で話題のAIやらICT化やらで

カバーするにも限界がある業種ではあるし、

本質的な業務のハードさとそれに見合った報酬の少なさを忌避して、

今後はいっそう人では足りなくなっていくことは十分に予想される。

(個人的には、業務をスムーズにするためにも、

ICT化はもっと推進されて然るべきだとは思っているけど、

そもそも現場に新たな事を受け入れる余力が少ないという面もあると思う)

 

 



・・・しかし本来、福祉全般にいえることだが、

対象者のためには、長期的に働いてくれる人のほうが

ありがたい存在であると思う。

 

 

私は、対象者の生活が持続可能であるようにいかに組み立てるか、

というのが福祉という仕事の大切な部分であると思っている。

 

 

そしてもちろん、他でもない「当事者」の方の生活なので、

そのニーズやら思いが最重要視されるのが大前提。

 

そうなると、生活に深くかかわりうる福祉のお仕事で、

当事者の方の事を「良く知っている人」は結局、

「長く働いている人」と大いに重なる面がある。

 

 

短期間でも適切に見立てて支援できる人や

そういった役割・立場の人も必要だろうけど、

福祉の対象者の方の人生は「長期的に」続いていく。

 

誰だって、身近にいる人が次々入れ替わるよりも、

同じ人がずっといてくれるほうが安心感があるもんだと思う。 

 

 

 

しかし、支援者だって人間。

その人の生活があり、人生がある。

 

 

結婚を機にとか、子どもができた/できそうなタイミングで

離職する、という人は自分の職場でも多く見てきた。

 

 

・・・対象者がよりよい生活や人生を過ごせるために、

支援者が自分の生活や人生を疎かにせざるを得ない。

 

 

そんな環境で働き続けられることは、「普通」か?

 

 

そんな環境にいる支援者が、本当に対象者の生活や人生を大切にできるのか?

 

 

・・・自分を愛せない人は他人も愛せない、みたいなことを聞いたことがあるが、

自分の人生を大切にできない人が、他人の人生を大切にできるのだろうか。

 

そして自分の人生を大切に扱ってくれない環境にいる人が、他人の人生を大切にできるのか。

 

 

 

そう考えていくと、「支援者が長く働き続けられる職場環境がある」ことが、

翻って、「対象者の生活がより良い形で持続できる」ことに繋がるのではないか。

 

 

そんな風に、最近思ったりします。

 

 

・・・これからの時代、福祉業界をはじめとする対人援助サービス業界では、

ある程度の人材の頭数を確保できなければ、

サービスの質を落とすことで対応するしかなくなる。

 

無理に少ない人数でこれまでと同じサービスの質を確保しようと思えば、

すでにいる人材が疲弊して辞めていく、という悪循環になる。

 

 

さらに、若者人材が売り手市場となっている現代においては、

若い働き手を確保しようと思えば、若者が興味と希望を抱く業界、

そして継続的に働き続けられる業界である必要がある。

 

 

さらに、一時的に自分の人生の中で家庭を優先したい時期が来ても、

その後また復帰できたり再チャレンジできるような業界。

 

 

その人が単身者であろうが、父であろうが母であろうが、

個人として目標を持ち仕事に邁進したり、プライベートも大切にできたり。

 

何より「自分の人生を大切にできる」社会。

 

そんなんができたら理想だろうな、なんてことも思ったり。

 

 

だから、支援者が働き続けられるように、

支援者自身の余白やら生活のゆとりを確保できるようにするのは、

職場の福利厚生として、という面もあるが、今後は、

業界の生き残り戦略としても必要不可欠になっていく気がする。

 

 

 

 

 

 

 

・・・はてさて、自分の人生「も」大切にするために、

私はこれから、何をどうやっていこうかな。

子育て支援の目標について

 

私が育児休業を取った裏テーマとして、

子育て支援に携わる者として、子育てに当事者としてしっかり向き合ってみたい」

というものがあった。

 

同じ立場にならないとその人の本当の心情はわからない、っていってしまうと、

全ての人の人生を経験できるわけではないし、「支援者」としての名が廃る。

 

・・・そう思ってやってきたつもりだった。

 

 

ただ、育児休業を取る前は特に、仕事の上でのスタンスや立ち位置に

迷ったりすることも多かった。

そんな、中途半端なモヤモヤ感ばかり蓄積されていく現状を打破するべく、

一度、基本の基本に戻るというか、違う視点で見るというか、

端的に言えば仕事から離れる、ということは自分にとって必要だったのだと思う。

 

それからの経緯や心情などは、このブログに書いてきたとおりであるが、

今思えば、「子育てに向き合う」ことを通して、

自分にも向き合ってきた(向き合わざるを得なくなった)のだと思う。

 

 

そんな中で、強く共感するようになったのは、例えばこんな漫画

corobuzz.com

 

息子氏は、そりゃあもう絶対的に可愛いことは間違いない。

ただ、しんどいものはしんどいし、辛いものは辛い。

 

だからこそ一人で抱えるのではなく、みんなで、チーム

育児をしていかないと、とてもじゃないけどのりきれない。

 

 

子育てにかかわる正論とか、精神論とか、

吐き気がするくらい嫌いになった。

 

 

・・・そうやって色々考えていくと、

子育て支援の目標」とは、つまるとこ、

子育てにおいて、いかに当事者の「余裕」を確保していけるか

なのかもしれない、と思い至った。

 

 

 

少なくとも、当事者であった自分自身に必要だったのは、

精神的な余裕やら余白やら、心のゆとりやら、

そんなことだったと思う。

 

 

子育てはどうしても余裕やゆとりやらがなくなる分、

それらを大切にする自分やら周りが、

何より「必要」なんだとしみじみ思っている今日この頃。

 

子育てはみんなでするもの、だった

子育ては一人でするのでなくチームでするものという確信に至った私

 

そもそも、核家族でのワンオペ育児が主流になったのは

戦後日本のみであり、人類の歴史から言うと子どもを

「共同養育」をしていた時期のほうが長い、みたいな言説を

どこかで聞いたことがあった。

 

どこやったかなぁ~と調べてみると、そのものではないが、

似たようなことを書いていたネット記事が見つかった。 

www.huffingtonpost.jp

 

以前にこのブログでも書いたこともあるが、 

ホルモン的にも、女性が産後に共同保育を必要としているらしいことも書かれていた。

 

共同養育できる社会では、子どもも多く産みやすいし、育てやすい。

当たり前のことだと思う。

 

地域での共同養育が自然と出来ていた昔を礼賛する気はさらさらないが、

いかに「みんなで子育てできるか」を考えていくことは、

現代社会の宿命ではないか、とすら思う。

 

 

そう考えると、今勤めている児童養護施設では、

「仕事」として血縁関係のない子どもの養育に携わるわけだが、

そこへの葛藤はずっとなんとなくあった。

 

ただある意味では社会的なセーフティネットということで、

人類における原点回帰な仕事なのかもしれない、

なんてたいそうな事を思うようになったり。

 

 

・・・つくづく「1人で抱えない子育て」について、

いろいろと思う自分がいることに改めて気づかされる。