育児休業も後半になってきて、育児自体も最初よりかは慣れと息子氏の成長もあり、落ち着いてきた。
そんな中で、改めてタイトルに書いてることを考えるようになった。
育児休業を取ったばかりの頃にも考えてみたことではある。
子育てを妻に押し付けずに自分も育児に関わりたかった、というのはそのときに考えていた理由の一つであり、今でも確かにそう思う。
ただ、結構ビビりな自分が、まだ男性の育児休業が普及していない中で、ある意味で周りからの信用を失うリスクがあり、さらに、実際の取得に向けて調整・交渉するコストも大きくかかるにもかかわらず、なぜ行動できたのか。
正直なところ、自分でもよくわかっていないというか、うまく言語化できないところがあった。
働き方を見直したいとかという思いもあったりしたが、それ以上に、「子育て」に対して、色々と思い感じるところがあったような気がしていた。
・・・自分1人でうまく言語化できないことは、誰かと話している中で、ふと言語化できることがある。
カウンセリングとかもそういった作用がある。
そして私自身、妻と話している時にふと、あぁそういうことかも、と思い当たることがあった。
・・・私は、4人兄弟であり、父母は今でも健在だが、私が幼少期、父は10~15年ほど単身赴任で遠方に行っており、母は、いまでいうワンオペで4人を育てたことになる。
言葉にすればそれだけなのだが、当事者からすればありがちな苦労話ではなかった。
決して要領が良い方ではない母は、母なりによい母であろうとはしていたのだと思うが、子どもからすれば日々不満だらけだったし、母は精神的な余裕をなくし、子どもに目を向ける時間的余裕もなくし、ただ日々に忙殺されていた。
自分自身が親になり、四人をとりあえず死なずに子育てを終えたことはそれだけでもすごいとは思うが、実態は、綱渡りを運よく渡り切ったような感じだと思う。
子育て支援の現場にいる自分から見ても、現代なら、何かしらの支援対象に引っかかるような家庭だっただろうなと思う。
そんな家庭で育った自分は、ワンオペ育児の大変さやどうしようもなさ、そしてなんとかしたい気持ちを強く感じていたのかもしれない。
自分自身を冷静に振り返って、そう感じる。
私は、ただ自分の昔の家庭を何とかしたかったのかもしれない。
これがすべての理由というわけでもないけど、妻にワンオペ育児させたくないという思いは、そんなところからきているような気がしている。
そしてそんな自分が、境遇に恵まれなかった子どもたちの支援や、子育て支援・家庭支援を行う職場・立場にあることは、今更ながら、何かしらの縁を感じていたりもする。