私が育児休業を取った裏テーマとして、
「子育て支援に携わる者として、子育てに当事者としてしっかり向き合ってみたい」
というものがあった。
同じ立場にならないとその人の本当の心情はわからない、っていってしまうと、
全ての人の人生を経験できるわけではないし、「支援者」としての名が廃る。
・・・そう思ってやってきたつもりだった。
ただ、育児休業を取る前は特に、仕事の上でのスタンスや立ち位置に
迷ったりすることも多かった。
そんな、中途半端なモヤモヤ感ばかり蓄積されていく現状を打破するべく、
一度、基本の基本に戻るというか、違う視点で見るというか、
端的に言えば仕事から離れる、ということは自分にとって必要だったのだと思う。
それからの経緯や心情などは、このブログに書いてきたとおりであるが、
今思えば、「子育てに向き合う」ことを通して、
自分にも向き合ってきた(向き合わざるを得なくなった)のだと思う。
そんな中で、強く共感するようになったのは、例えばこんな漫画
息子氏は、そりゃあもう絶対的に可愛いことは間違いない。
ただ、しんどいものはしんどいし、辛いものは辛い。
育児をしていかないと、とてもじゃないけどのりきれない。
子育てにかかわる正論とか、精神論とか、
吐き気がするくらい嫌いになった。
・・・そうやって色々考えていくと、
「子育て支援の目標」とは、つまるとこ、
子育てにおいて、いかに当事者の「余裕」を確保していけるか
なのかもしれない、と思い至った。
少なくとも、当事者であった自分自身に必要だったのは、
精神的な余裕やら余白やら、心のゆとりやら、
そんなことだったと思う。
子育てはどうしても余裕やゆとりやらがなくなる分、
それらを大切にする自分やら周りが、
何より「必要」なんだとしみじみ思っている今日この頃。