元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

ベビーゲートの牢獄感

新居で暮らすようになって約半月。

 

ご飯を作っている最中に度々、

息子氏がリビングからキッチンに向かう通路?を通って

キッチンに来てしまうことが問題になった。

 

やはり危ないので、サイズを測って丈夫そうなベビーゲートを購入

 

・・・したのだが、なんともいえない「牢獄感」があって少しウケた。

 

f:id:you-n77:20190413152658j:plain

 

妻がベビーゲートを通って向こう側に行ってしまったとき、

柵をつかんで泣いている息子氏を見ていると思わず

「おいらを出せ~!おいらが何をしたっていうでやんすか~!」

という幻聴が聞こえてきそうなほど。

 

 

・・・まぁ、今はわからないだろうけど、

息子氏自身の安全のためなのだ。

 

息子氏に罪はないとはいえ、許せ息子氏。

おっぱいのない男は外に出ているほうが楽

色々と語弊がありそうなタイトルではあるが、

引っ越しに伴う開梱作業を夫婦交代でする日々が続いて、

改めて私が悟ったことである。

 

最近かなり減ってしまっているが、

これまでも妻が半日でもフリーになれる日を作るように心がけていたつもり。

 

しかし妻が開梱中は私が集中的に息子氏をみることになるので、

息子氏と二人きりで過ごす時間が一気に増えた。

 

 

・・・そこで問題になるのは、息子氏が泣いたら、

妻には授乳という最終手段があるが、私にはない、ということ。

 

 

ミルクはとっくの昔に飲まなくなったし、

息子氏はどうやら栄養摂取以外の「快」を母に求めている。

 

こうやって親に接近することで不快感情が解消されたり

快感情が得られることの積み重ねが、

いわゆるアタッチメント(愛着)というものになっていくのだろうが、

そういう意味では、父は、母とは違う方法で、

アタッチメントへ向けた取り組みをするしかない。

 

 

・・・ということで、父は、公園はじめお出かけを繰り返すことで、

息子氏に楽しんでもらうことにした。

 

まぁ家に父子がいたら母が落ち着いて片付けができないだろうという意味もあるけど。

 

そうやっていると、公園デビューの時も思ったが、

大人が気づかないもの、注意を向けないものに、

息子氏は本当によく気付く、ということに気付く。

 

初めて見る葉っぱや花びらや、色が周りと違うような、

例えば道路のコンクリートアスファルトの境目やマンホールのふたなどを、

しげしげ見つめ、触り、「違い」を確かめている。

 

・・・油断すると、砂やらよくわからないゴミやらをつかんだり、

なんなら口に入れようとしたりもするので危ういのだが、

色々と探索している息子氏をみているのは父としても微笑ましい。

 

そして、息子氏が安心して世界を探索できるのは、他でもない父がそばにいるからだ!

と自分を慰める手立てにもなる。

 

 

 

・・・だからこそ「おっぱいのない男は外に出ているほうが楽」なのだ。

ようやく片付く

引っ越してから約2週間、ようやく一通り新居が片付いた。

 

収納は多い家であることには大いに助けられたが、

100個以上の段ボールを開梱しつつ、

新居での置き場所を試行錯誤したりしていたら、

あっという間に時間が過ぎた。

 

 

・・・この間、赤子連れの引っ越しを舐めていた、とつくづく思った。

 

 

なんせ、息子氏を一人にはしておけないので、

夫婦交代で開梱作業にとりかかるしかない。

 

 

そして息子氏の生活リズムをあまり崩すわけにもいかないので、

ある程度の時間枠内で、一定の成果を出す必要がある。

 

作業を続けていると、ペースが乗ってきた、みたいなことはよくあるが、

息子氏のご飯やらお風呂の時間が来たらそれまでで強制終了となる。

 

なかなか達成感が得られないまま、少しでも作業を進めることに専念するしかない、

という意味で、気持ち的にも大変な面がある。

 

 

日々の生活を回しつつ、何かを進めていくことは、本当に大変。

 

 

赤子がいる時の引っ越しはみんなどうしているんやろ?

 

我が家では、一応は大の大人が二人いて、どちらも育児休業中で、

私はそこそこ体力もあって、それでも2週間かかる、赤子連れの引っ越し。

 

よほどパワフルな親御さんでも大変だろうし、多くの協力者がいて、

ようやく何とかなる気がする。

 

 

 

・・・落ち着いた環境で家族で生活をできるということのありがたさを、

改めてしみじみと感じたりもしている。

寝るときに捕まえることは悲しい

我ながらよくわからないタイトルではあるが、

実際にそういうことが我が家で良く起きている。

 

 

寝かしつけについて、妻が添い寝をしながら授乳したり

私がおんぶして歩きながらウトウトさせたりと、いろいろ工夫しているつもりだが、

それでもなかなか息子氏が寝なかったり、

その選択肢を取れなかったりすることはままある。

 

 

寝室での遊び癖がついてもいけないとも思っているので、

最近よく使って(しまって)いる最終手段が、

私が息子氏を捕まえて、布団に寝かせて、ホールドするというもの。

 

 

もちろん息子氏が苦しくないようにだが、

大人が腕を乗せる程度でも息子氏からしたら動きが結構制限されるし、

肩とかのポイントをちょっと押さえるだけでも、十分にホールドできる。

・・・昔黒帯を取った柔道がこんなところで役立つとは思わなかった。

 

 

 

息子氏からしたら、自由を制限されているわけなので、当然ギャン泣きする。

 

しばらく泣かせていたら結構な体力を消耗するようで、

離したらすぐに妻の所に寄っていって、すぐに寝る。

 

 

 

・・・ただ父からすれば、一緒の布団に息子氏を抱き寄せて寝転がらせるだけで

ギャン泣きされているので、なんともいえない悲しさがある。

 

 

 

 

いや、そんな悲しみを乗り越えた先に、父としての強さがあるのかもしれない、

 

いや、そんなものは本当にあるのだろうか、父の強さなんて幻想ではないだろうか。

 

 

 

・・・そんな葛藤?を抱えながら、ギャン泣きする息子氏をただ抱える私。

 

 

 

動きたい/動いてほしい/動かしたい

息子氏はいろんな「動き」を欲するようになった。

今日は、そんな息子氏について書いてみる。

 

・・・・・

 

①まずは自分で「動きたい」という気持ち。

 

公園デビューのときもそうだったが、二足歩行が可能になって以降、

自分で歩きたがったり、落ちているものの触感を確かめたりすることが大いに増えた。

 

近くの公園から家まで、大人の足ではものの1分足らずで着く距離なのだが、

息子氏を歩かせてみると、落ち葉やら枯れ木やら、

路肩やマンホールで色が変わっているところなどを目ざとく発見して、

てててっと寄っていき、しげしげと触っている。

 

・・・なんというか、この

「世界への好奇心があふれている感じ」が、

なんか親としては、とても微笑ましい。


危険のないよう見守りながら、できるだけ動きたい気持ちは尊重したいと思っている。

 

 

 

②次に、「動いてほしい」という気持ち。

 

自分で動いてみたい欲が強くなっている息子氏だが、

あまり知らないところや、見晴らしがよくないところだと、

自分で歩こうとはあまりしない。

 

そういったところでは、親に抱っこを求める⇒抱っこされる。

そうやって抱っこされた状態で世界を見渡すことが多い。

 

まぁあまり知らないところを親の庇護なく探索しまくるとしたら危ないので、

ある意味で「危険回避」という大切なことができていることでもあるとは思う。

 

・・・ただ、抱っこに疲れて息子氏を置くと、泣き出してしまうので、

新しいところに行くときにはベビーカーを大活躍させないと、

自分の身体が悲鳴を上げることになるので要注意。

 

 

 

③最後に、「動かしたい」という気持ち。

 

引っ越ししてから、実家にとってあったらしい

妻のお気に入り絵本類が数十冊ほど我が家に来た。

 

少し早いかもと思ったが、以前に息子氏用に買った本などと一緒に、

息子氏の生活スペースに設置した本棚に入れておいた。

 

最初は本棚にある絵本をただただ出す、というばかりであったが、

いつからか絵本を大人のもとに持ってくるようになった。

 

ただ、絵本を読んでほしいのか、と思いきや、

数ページもめくらないうちにまたトトトッと離れて行ったりして

残るのはハートブロークンな親だけだったりする。

 

ただ絵本を動かしたい、とか、絵本を持っていったら親がなんか動く、
みたいなのを求めているのだとは思う。

 

 

・・さらに、自分が乗るはずのベビーカーを、自分自身で動かすことにはまっている。

公園やお出かけ先で、天気もいいからとベビーカーから息子氏をおろしてみると

よくベビーカーに乗る側から押す側にまわる。

 

補助のつもりで大人が押すと、思い通りに動かないことが嫌らしく

ギャン泣きするので、最近は危険のない限り自由に押してもらっている。

f:id:you-n77:20190413140213j:plain

 

息子氏はトーマスとかが好きだから、動く車輪が面白いのかなぁとか、

自分の体よりはるかに大きな乗り物(車やら船やら飛行機やら)を動かしたいとか、

そんな感じなのかなぁと想像する・

 

ベビーカーを動かしている時の息子氏は割と真剣。

なんなら地球ごと動かしてやるぜい、

みたいな壮大な気持ちを持っている気すらする。

 

これまた微笑ましい。

 

 


どんどんと動くがいいさ、息子氏。

 

初・雪山

息子氏が爆誕する前は、妻と一緒に年に一度は雪山に行っていた。

 

私はスノーボード、妻はスキーだったので、物は違えど、

それぞれ自分の板も持っていて、雪山に行くことは共通の趣味みたいになっていた。

 


ただ去年の冬は、息子氏の出産前後であったので当然見送り。

 

 

そして今年の冬も、引っ越しやらなんやらあったので無理かな・・

息子氏もまだ小さいし・・と漠然と思っていた。

 

ただ、引っ越しした後は、荷物の片付けも大変だろうから

しばらくしてから自分たちへのご褒美に何か楽しいことを、という思いと、

日帰りで行けてキッズスペースがあるところなら無理なくいけるのでは??

という思いから、そういう場所を見つけて、計画・実行してみた。

 

 

 

当然息子氏にとっては、初・雪山。

 

2月も後半に入って、かなり暖かくなってきたので、

山の地肌が見えているところもあったが、

運動不足な二人が軽く流すには十分だった。

 

息子氏にとっては、キッズスペースが主な思い出とはいえ、

初めて雪に触らせることもできて、良い経験になった(ことにしておく)

 

 

家族でいつか北海道にでも滑りにいけたらなぁ、なんてほのかな夢ができたり。

復帰後は頑張って稼いで&運動もしていこう、なんてことを考えつつ、

ほのかではない筋肉痛を抱えている私。

 

f:id:you-n77:20190413134914j:plain

 

地域との交流

引っ越しをして一週間、少しずつ地域での交流が始まっている。

 

自治会長さんがわざわざ挨拶に来てくれて、

我が家がなんていう自治会の何組で組長さんが誰か、

ということを改めて教えてもらったり、

ゴミ出しの曜日やら地域のルールについて教えてもらったりした。


今のところご近所トラブル的なややこしいことはなさそうで、とりあえずよかった。

 

 

あとは家から歩いて数分で地域の公園があり、公園デビューをしておいた。

いわゆるママ友集団みたいなのはいなかったので、

公園デビューといっても公園に行って息子氏と遊ぶだけ。

 

・・・天気が良い日は、他にも子連れのママさんもいるが、

自分は男性なので変に声をかけても怪しまれるので、

とりあえず息子氏と遊んだりやりとりしながら、

息子氏が勝手に子連れのママさんのとこへ歩いていったときに

会釈するとかくらいの無理ないコミュニケーションから始めておいた。

 

 

・・・息子氏が歩けるようになってから、近くの公園に出かけたりするが、

滑り台やらブランコやら、何十年ぶりかの遊具で一緒に遊んでみたり、

なんだかほのぼのとして、懐かしいような気もしたりして、

すごく落ち着いた気分でいる自分を発見したりする。

 

こんな感覚、何年振り?何十年振り?やろうな。

 

 

息子氏も広いところでてくてく歩けて、

土やら砂やら各種遊具やらを

物珍しそうに触ったりしていて、なかなか楽しそう。

 

よかったよかった。

 

 

・・・アパート暮らしだったころは「地域で生活する/している」

という認識はほとんどなかったが、

なんだか「地域で生活する/している」ということを

徐々に自分の中にインストールしているような、そんな感じの今日この頃。