何だか壮大な?タイトルだが、なんてこたーない。
息子氏と戯れている時に、椅子に座っている自分の身体を斜めに伸ばすと・・・
あら不思議、家の中に滑り台ができちゃった!!
こんな感じ↓
・・・ということで、椅子に座っていると、もれなく息子氏が登ってきて、
そして滑り落ちるようになった、というお話。
本当に、息子氏が自分を乗り越えていく未来も、きっとあるんだろうなぁとしみじみ考えながら、今日も私は、息子氏に登られ、滑られている。
ちゃんちゃん。
息子氏の前で洗濯物を畳んでいると、これまでは漏れなく洗濯物の山に突っ込まれ、
息子氏を叱る、という負のループが生じていた。
ただ、要は親たちがやっている作業に混ぜてほしいのだと思う。
息子氏の心の声を代弁すれば、
「なんか夫婦仲良く楽しそうなことしてるじゃねーでやんつか!!混ぜておくんなせー!!」(洗濯物に突っ込む)
みたいなことだと思う。
そこで、何とか息子氏が楽しんで交われて、それが結果的に「お手伝い」になるようなことはないか、と試行錯誤。
結果、洗濯物を畳むという作業の一番初歩は、「タオルを半分に畳める」ことであろうと考え、息子氏の前で「はんぶんぶーん♪」と楽しそうにやってみて、興味を示した息子氏にやらせてみて、大いに褒める、ということを繰り返した。
・・・見事、成功!
息子氏は、「はんぶんぶーん」と言いながら、タオルを半分に折り畳み、
自分で「じょーず!!」とセルフ賞賛ができるようになった。
もちろん、半分にキレイに畳めるわけではないが、しまう時にちょっと小さくまとまっていればそれでいい!と思うことにする。
それも含めて、お手伝いとしてはまだ半分くらいの出来かもしれないが、一緒に親と出来る活動が一つ増えることは、息子氏にとって大きな意味を持つ、はず。
どうやら息子氏の通う保育園では、いわゆる「お勉強」に取り組んでいるようだ。
数字の1~10も言えるようにはなっていた息子氏だが、ある日気づくと
数字の1~20を諳んじて言えるようになっていた。
また、我が家のお風呂にはひらがな表が貼ってあったりして、言葉を少しずつ覚え始めている息子氏。
ある日、息子氏が何やら同じ言葉を繰り返して言っていた。
よくよくきいてみると・・・
「さんかっけー、えんけー、ちょーほーけー、せーほーけー」
????
間違いなく、「三角形、円形、長方形、正方形」と言っている。
すごいな息子氏。
そしてそれを楽しく覚えさせた保育園もすごいな。
ただ・・・なぜ「丸」とか「四角」でなく正式名称なのだ。
息子氏が通うのが、「幼稚園」ならば、
幼稚園というのは広義の「学校」ではあるので(学校教育法第6条)
わからないでもないかもしれないのだが・・・
保育園はあくまで「児童福祉施設」である。
そうか。児童福祉のためには、教育が重要だということか。
そうなのかどうか、未だにわからないのだが、いつか聞いてみたい。
ありがたいことに息子氏は順調に成長しており、力も強くなってきている。
ただその一方、息子氏が笑いながら突っ込んできたリ、ペチペチしたりしてくるのも、
シンプルに痛みが増してくる。
息子氏に悪気はないであろうが、特に痛みに敏感な妻のもとにも、被害は及ぶ。
朝方に妻の布団に息子氏が飛び乗る⇒妻「痛い!」と叫ぶ⇒私が驚いて起きる、
みたいなことも増えてきた。
それでも息子氏は謝ったり悪びれる様子はない。
・・・これを子ども同士で当たり前にやるようになってはいけない。
とはいえ、力の加減はまだまだ不得手な息子氏。
最悪、やってしまったものは仕方ないにしても、しっかり謝れることをまず目指すことにした。
実際、朝方に妻が痛がっている横で私が「息子氏、ごめん、って言いなさい」って言っても、絶対に言わない。
・・・そこで、謝ることが自然にできるように、一案。
息子氏は、言葉の模倣がかなり出きるようになってきているので、
まずは息子氏が「ごめんね」という発語機会を増やせるように、
脈絡なく、夫婦で「ごめんね」「いいよ」を言いまくることにした。
最初は、息子氏もきょとんとしていたし、「ごめんね」「いいよ」が繰り返される我が家は、少し引いてみたら、異様だったかもしれない。
・・・しかし、1週間後に成果がこんな形で現れた。
息子氏「ぱぱ、ごめんね」⇒私「いいよ」
⇒息子氏「たーたん、ごめんね」⇒妻「いいよ」
⇒私/妻「息子氏、ごめんね」⇒息子氏「いいよ」
こんな遊びのようなコミュニケーションが頻発するようになった我が家。
まずは第一段階やな。
あとは、謝るべき場面でちゃんと「ごめんね」がいえるかどうかだけど、
それにはもう少し時間がかかりそう。
その間に、もう一つ覚えさせたいやり取りがある。
私は、Mr.Childrenの名曲「Sign」から、
「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返す重要性を学んだ。
なので次は、「ありがとう」「どういたしまして」を繰り返そうと思っている(←大真面目)
本日、とある有名女優の訃報がネットニュースで流れてきた。
誰でも知っているニュースだけど、個人的な方針により、詳細は言わない。
正直かなり、驚いた。
また本日、こんなネット記事も流れてきた。
もちろん、上記の女優の訃報の原因は特定されていないし、仮に産後うつのようなものだったとしても、周囲の人々が責められるようではいけないと思う。
てかどうしようもない精神的な問題に対して、犯人捜しすることこそ不毛だし、
二次被害を生むという意味では害悪でしかない。
とりあえず、改めて強く思うこととして、
・子どもを産むのも育てるのも、命がけなんだぜ!!!
・子どもが生まれて母親が一人で子育てできて当たり前なんて言っている奴は
情弱の極みだぜ!!!
なんてこともまた、知られてほしい、と思った。
ご冥福をお祈り申し上げます。
「トツキトオカ」という無料アプリがある。
妻が息子氏を妊娠した時にどこぞから見つけてきた「妊娠日記・記録用アプリ」である。
女性側は、妊娠初期からさまざまな身体的変化(つわり、胎動、ホルモンバランス変化などなど)があるため、
早くから母親意識や「そこに新たな命がある感じ」が芽生えやすい。
一方で、男性は、女性のお腹の膨らみや、お腹を触って胎動を感じることがないと、
いまいち「そこに新たな命がある感じ」を実感しにくい。
・・・男性が女性に比べて、妊娠に対してのんびりとらえている感じになりやすいのも無理ないことである。
しかし、トツキトオカというアプリは、可愛いイラストで胎内の赤ちゃんの成長をみせてくらたり、医学的にわかっている状態を勉強させてくれる。
なんなら、時期に応じた母親、父親それぞれのアドバイスなんかもあったりする。
名前も付けられる(ニックネームみたいなものでもOK)ので、愛着も芽生えやすい。
我が家でも、息子氏の妊娠3か月目くらいからこのアプリを夫婦で導入していたことで、自分自身、父親意識を少し早めに醸成できた気がしている。
・・・・実は密かに、我が家で2回目のトツキトオカの導入が始まり、終わっていた。
妊娠3か月目による、早期流産である。
妊娠が発覚し、母子手帳をもらい、産婦人科に通院を初めて、すぐのこと。
確認されていたはずの心拍が停止していた。
1回目(息子氏のとき)はドキドキしながらも順調に育ってくれたからか、
2回目のときは何か油断していた。
正直、今もあまり気持ちが追いついていない。
最初の書き出しと展開がチグハグな感じがした人、ごめんなさい。
諸手続き以外にも、困ることがあった。
「トツキトオカ」のアプリは、2回目の運用を開始したばかり。
こちらがアプリを止めない限り、その中で赤ちゃんは順調に育っていってしまう。
・・・止めないといけない(流産したことをアプリに入力しないといけない)
でもなんか、見たこともないはずの子どもに既に愛着が芽生えていて、
アプリを止めることがその死を確定させてしまう気がして、なかなかできなかった。
・・・始めなければよかったすら思う。
でも、後悔は先に立たず。
意を決して、アプリを止めた。
・・・すると画面が切り替わった。
・・・・にくい、にくいぞ。トツキトオカ。
泣かせるねぇ。
でも、ありがとう。
夫婦ともに対人援助職なので、外出はかなり自粛している。
ただ休みに家にばかりいるのはやはりストレスフル。
感染対策を店側もしっかりやっていること、そして自分たちもしっかりする前提で、
家族だけでカラオケに久しぶりに行くことにした。
・・・いやぁ、カラオケで歌うことがこんなにハードルが高くなっていることを、しみじみ実感した。
カラオケは、息子氏を妊娠中の妻と1回行ったかどうかくらいなので、3~4年振りかな。
息子氏も、トーマスやらNHKで流れる歌を流したら、それなりにノってくれた。
もちろん夫婦それぞれで、歌を入れて歌ったりもした。
そこで、自分が、あるお気に入り曲を歌おうとしたのだが、歌えなかった。
それが、木山裕策「home」である。
2008年発表当時、紅白にも出たことがあるので、
同世代の人は聞いたことがあるかもしれない。
実は私たち夫婦の結婚式二次会で、妻に向けてちょっと替え歌をして
披露したこともある、思い出の唄でもある。
実際に父親になってから、カラオケで歌うのは初めてだったけど・・・・
歌詞のわかりみが過ぎて、正式なPVが歌詞とともに画面に映っていて
感極まって、まともに歌えなかった。
・・・気づけば自分もいっちょまえに父親になってるんだなぁとしみじみ実感。
妻にばれてないか、ドキドキしながら、久しぶりのカラオケを終えた。
そして息子氏と手を繋ぎ、私たちのhomeへ無事帰ったとさ。
ちゃんちゃん。