余裕を持ちにくいときには、無理にでも余裕を作るほうがいい、と前回考えた。
時短の方略を厭わないくらいでいい、と考えたこともある。
さらに頑張らなくて良い方法はないものか、と考える癖がついたように思う。
その方向は、妻も基本的に同意しており、導入できるものはどんどん導入しているが、
さすがにそれは・・とストップがかかったり、導入を見送っているものもある。
一つは、子育てタクシー。
コースもいろいろあり、荷物が多いときや、子どもだけの送迎、
陣痛時や急な発熱など緊急対応としての活用も可能。
個人的には、急な残業時の送迎をお願いできないかと妻に提案したが、
それはちょっと・・となった。
もう一つは、ファミリー・サポート(通称:ファミサポ)。
育児の手伝いをしてほしい人(依頼会員:通称おねがいさん)と
育児のサポートをしたい人(援助会員:通称まかせてさん)を
マッチングしてくれるサービスであり、一時預かりや送迎の対応などが可能。
これまたちょっと・・となった。
・・・どうやら妻には、保育所は別にして、
子育てを第三者に託することへの抵抗感があるらしい。
いいじゃん、使えるサービスは使おうよ!と
安易にゴリ押ししたくなる気持ちは大いにあるのだが、ふと改めて考えてみると、
大切なわが子を託すには、毎日預けている保育所はともかく、
一つ一つ信頼できるか人・サービスか見極めたいというのは真っ当だとも思った。
何かを頼ったり支援してもらうためには、
自分の弱さや無力さを、受け入れてもらえるという
安心感のようなものが必要不可欠、だと、
イチ支援者として思うことがある。
相談って、信頼できる人じゃないとできないし、
誰だっていいわけじゃない。
犬や猫だって、おなかを見せる(急所を見せる)ことができるのは、
よっぽど安心している相手だけ。
あとは、信頼できるか安心できるかといったことを、
見極めるためのコストや導入までのハードルに見合った
リターンやらメリットがあるのか、というのもある。
色んなサービスや人の選択肢があるのはよいこととはいえ、
あれもこれもとなりすぎて、当事者が混乱したり疲弊したりしてはいけない。
当事者が不安を超えても受けたいサービス・支援なのか、
冷静に見極める必要もある。
令和の時代に今更・・と思ったりもするが、いまだに子育てやら仕事やら、
苦労してなんぼでしょ的な価値観というのは根強かったりするので、
そういった価値観との距離を取るためのコストや労力もあったりするな、とも思う。
これくらいはできるでしょ・・でもできない、みたいな
自分の中の無力感との折り合いの付ける労力というのもあるかもしれない
まぁ、日々が少しでも余裕をもって回ることが最大優先事項であるという考えは
変わらないながら、ちょっと支援者目線も交えて、
具体的方法に走ってばかりではなく、我が家に必要なサービスというのは?という
基準をちゃんと見極める必要もあるな、とも思ったりした。