元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

イヤイヤ期と三割バッターのお話

 

職場が児童福祉施設であるが、ある時、

幼児ならではのワガママと言うか「イヤイヤ期」が話題になった。

 

なんとなくその時、思ったことをコメントしたことから改めて考えを深め

我が家の子育てにも活かしていこうと、備忘録。

 

 

 

世に言う「イヤイヤ期」は、発達心理学でいうところの

「第一次反抗期」である。

(第二次反抗期は、思春期とされる中高生あたり)

 

反抗、というと「子ども vs 親」みたいな対立構造のように感じられるし、

実際に、多くの親御さんはこの時期とってもとっても苦労する。

 

ただ、これは子どもの発達にとっても、とってもとっても大切なもの。

むしろ本当に必要ない機能ならば、人間の進化の過程で捨て去られている。

 

 

 

それだけ親を困らせるイヤイヤ期の、何が大切なのか?というと、

「自分の思いが親と違うことを主張する」練習だから

 

子どもは親や養育者がいないと生きていけないが、

子どもはいずれ、親や養育者がいない場面でも生きていくようになる。

 

すべての人が自分に優しいわけではない社会で、

「自分の思いを主張」できなければ、

自分にとって不利益なことを拒否できなくなってしまう。

 

 

大人の言うことを聞く子どもは「良い子」と言われるが、

それは言ってしまえば、大人に「従順」なだけ。

 

あくまで大人にとっての「都合の良い子」でしかない。

 

そして、ずっと「都合の良い子」だった子どもは、

大人になると「都合の良い」人間として、やもすれば搾取される対象になる。

 

そうならないためにも、自分の思いを主張する練習が、子どもには必要。

 

 

 

ただ親や養育者としては、あくまで「練習段階」である、という認識も必要。

 

単に「嫌」と言われても、大人は、何がどう嫌なのか、全くわからない。

それは本人にとっても、なんとなく言ってみただけだったりもする。

 

毎回、何が嫌なのかを突き詰めて考えることは、労多くして功少なし、だったりする。

 

息子時も最近、「嫌なの!」とよく言うようになったが、

何が嫌なのか、代わりにどうしてほしいのか、全くわからないので、

結局、探り探りである。

 

 

 

 

さらにいえば、大人ならよくわかることだと思うが

「自分の主張が100%通る社会なんで存在しない」というのもまた事実である。

 

だから「わがままに見える子どもの主張を出来る限り受け止めてあげましょうね~」というのは、結構危険な言説である。

 

大人には大人の都合は必ずあるし、他人には他人なりの都合が必ずある。

それは家庭だけでなく、何処の社会でも一緒。

 

そう考えると、大人が自分の生活を全てなげうって子どもに合わせるのは、

先々を見据えると得策ではないのがわかる。

 

頑張れるときは頑張るし、できないときはできないのだ。

 

 

 

イメージとしては、野球選手がコンスタントに3回の打席で1回打てたら「3割バッター」としてプロになれるように、

難しい球ではあるがなんとか打とうとしてみて、結果的に1/3打てたら上々、くらいのマインドでいいのだと思う。

なんなら、1回の打席といっても、1球目にゴロで終わったり、ファールが何回も繰り返されて10球くらいかかることだってある。

 

とにかく、「反抗期」は、大人側が子どもに合わせて試行錯誤せざるを得ないから、

とにかく大変ではあるが、そんな中でもなんとか打とうとしてみて工夫を重ねつつ、

結果として、たまにでもコンスタントに打てるようになるだけでも、

きっとそれは子どものためになっていくのだと思う。

 

 

 

・・・そんなことを考えながら、イヤイヤいう息子氏と

何とか楽しく過ごせるよう、工夫を重ねる私。