元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

昔と今を混在させないこと、解決しようがないこと

 

前回の記事で、自分の育児休業の取得理由が、自分の昔の経験が影響している可能性について整理してみた。

 

 

 

ただ、自分の昔の家庭と、今の家庭や職場とは違うわけで、それらを混在させてしまうことは、それはそれでよくないとも思っている。

 

なぜなら、ここでいう自分の昔の家庭とは、あくまで「自分の頭の中にある昔の家庭」であり、今の家庭や職場でいくら頑張っても、解決しようがない。

 

そもそも、当時子どもだった自分になんとかできるわけでもない。

子どもが親が満足させるように行動する必要も、本来はあまりない。

 

親がそう願うこと自体は否定しないけど、子ども目線に立てば、子どもがやりたいことを十分できるようにできるだけ環境を整えるのが大人の役割だと思う。

 

 

 

 

 

・・・少し話はずれるが、それと関連して、自分自身が、妻の話を聞いている時に思うことがある。

 

妻の話を聞いていると、その場で何とかしようと解決策を示そうとしてしまったり、いつまで聞いたら満足できるのか、みたいなことを考えていたりもする。

 

あまり男女差を言うのは好きではないが、自分が男性であるがゆえに、会話や雑談をコミュニケーションというよりタスクとしてとらえる傾向があるのかもしれない。

ある意味で、仕事(タスク)として聴き手に徹すれば、しっかり共感・傾聴はするように努めるのだが、なぜか家ではついそのように反応してしまう。

 

 

ただ、妻に実際に言われた台詞だが、

「女性の話したい欲は尽きることがない」「女性は息を吐くように話す」

らしい。

どこまで一般化できるものなのかはわからないが、少なくとも男性である自分はそんな感じではない。

 

 

つまり、妻の話は、解決しようがないし、解決しようとしなくてもいい。

あと、いくら話を聞いてもこれで100%満足、みたいに話が終わることもない。

 

 

だからこそ、母である妻の話したい欲を自分1人で十分に満足させられるわけでもなかったりもするし、妻が自分以外の多様な話し相手を求めることも自然な事。

 

そんな当たり前のようなことを思い、改めて、自分にできることをできる範囲でしよう、なんてことを思った。

 

 

・・・なんか今日はまとまりがないが、まとまらないものを無理にまとめないでいることも大切だったりもする、なんて都合のいいように自己弁護してみたり。