育児休業中ではあるけど、週に1回仕事に行ったり、夜間で学校に通っていたりする私。
息子氏とマンツーマンでいる時間は、どうしても妻の方が長くなる。
最近、外から帰ってきた私に妻が「・・・今日はなかなか寝ないで一時間くらい泣き続けてたわぁ」と伝えてくれた。
私「そっかぁ、そら大変やったなぁ」と返答。
これだけ見れば、まぁ普通のやり取りだと思う。
・・ただ、その後妻と話していて気付いたことがある。
言葉で伝えるなら数秒で終わる「一時間」の大変さ。
ただ、本当に当たり前だが、実際には「一時間」の大変さが、あったのである。
夜間に学校に行っているため、夜の寝かしつけはほとんど妻にやってもらっている。
妻が一人で休息できるようお出かけしてもらったときも、1時間レベルのギャン泣きにマンツーマンで付き合うことは、そういえば最近なかった。
だから、妻に話されて相槌をうったときに、自分はどれほど実感をもてていただろうか、なんて疑問に思った。
まぁ相手の心情には実感を持って対応せねばならない、なんてことないのかもしれないが、私は、子育て支援や家庭支援を役割としてきた対人援助職として、大変な時を過ごした人への敬意というか、想像を働かせることには、より敏感になっておきたいな、なんてことも思った。