元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業をとることにし、周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰をした。そんな人が育児休業開始時から書き始めて、終了後も不定期に書き続けているブログです。

そして父になる

映画「そして父になる」を見て、なんかいろいろな思いをもちつつ、

まとまらないまま、実は数か月が経過していたのだが、

育児休業を終えていくにあたり、少しまとめてみようと思った。

 

f:id:you-n77:20190414164432p:plain


この映画は、現実にも生じたことがある乳児取り違え事件を参考にしたもので、

第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞を受賞したことでも有名な作品。

 

血縁関係のない子どもを6年間育てていたことが発覚し、

その間過ごした「時間」をどうとらえるか、どうとらえるようになっていくか、

といったことがテーマになっており、

「家族」や「父」について考えさせられる映画。

 (その他詳細はこちら⇒そして父になる - Wikipedia

 

 

昔見たことはあったので2回目の視聴ではあるが(見始めてから思い出した)、

実際に子どもができた今となっては、感じ方が少し昔とは違っていた。

あと自分の子どもではない子どもの養育に関わるという職場であるというのも、

この映画へのとらえ方を少し変えていたのかもしれない。

 

客観的事実がどうか、一緒に過ごした時間がどれくらい長いか、

ということだけではなく、その時間の質というか濃さというか、

人との関わりの中では、そういったことのほうがものをいうことがある。

 

 

・・・今私は、育児休業のおかげで、父として息子氏や妻との時間を

人より多く過ごすことができている。

 

そのおかげもあって、息子氏は妻だけでなく私にも懐いてくれており、

いわゆるアタッチメント(愛着)というものを感じさせてくれる。

 

そしてそのことは、育児を妻に偏らせない一助にもなっている。

 

 

ただ、仮に一緒に過ごした時間が、余白のない、ギスギスとした時間ばかり

だったとしたら、どうだっただろうか?

 

どうしても余白をなくしがちな私は、そうなる危険性も兼ね備えていたし、

むしろ、一緒に過ごす時間の「量」で

カバーしただけかもしれない、なんてことも思う。

 

 

一緒に過ごした時間の量が少なくても、その質やら濃さが

お互いにとって十分だったら、それでもいいのかもしれない。

 

というかその質やら濃さの「十分さ」は当事者以外の誰も、決めようがない。

 

 

 

親だってかけがえのない自分の人生を生きている。

 

親とはいえ、個人としての目標や人生を謳歌したい、というのも大切。

一方で、子どもにとってかけがえのない親の存在は大きい、というのも大切。

 

そのバランスに答えなんかないようにも思う。

 

 

子どものためにすべてを犠牲に、というのは美談になりがちだが、

「お前のためにこっちはいろいろと犠牲にしたってるねん!」

てのは子どもに対して恩着せがましいだけで、子どものためにはならない。

 

 

結局のところ、「父になる」というのは、

子どもと過ごす時間の質や濃さを自分なりに大切にする、

ということなのかもしれない。

 

ただでさえ長時間労働が問題になりがちな日本では、

家庭を十分に顧みることができない人は多くいるだろうし、

もともと奥さんに任せるつもりで顧みる気がそもそもない人もいるかもしれない。

 

そのバランスは家庭によって違うだろうし、

その家庭内での一定の合意の上で、

ある程度バランスが取れていたらそれでいいんだと思う。

 

 

とはいえ、少なくとも私は、育児休業から復帰したら、

どうしても息子氏と過ごす時間の「量」は減るので、

その分、息子氏と過ごす時間の「質」を

十分なものにしていくべく、頑張っていこうと思った。