息子氏をあやし続ける、夫婦。
それが私たち。
そんな中、ふと、当たり前のことに気づく。
息子氏が泣き続けているとき、自分が抱っこしているときと、妻が抱っこしているときでは、同じ泣き声のはずが、その「うるささ」がまるで違う。
声の発信源から近いほうが声は大きく聞こえ、遠い方が声は小さく聞こえる。
そして泣いている息子氏を抱っこしている時は、泣き声の発信源は耳のすぐ近く。
なのでこれは、考えたら至極当たり前のこと。
ただ、泣き続ける息子氏を抱っこしながら、妻に声をかける時、反射的に息子氏の泣き声以上の音量で声をかけてしまい、妻をびっくりさせてしまう夫。それが私。
妻からすると、いきなり夫が大声を出すので、びっくりするのと同時に、何か怒っているのかという気になる。
これは、逆もまた然り。
人間、のど元過ぎたら熱さを忘れるようで、妻が泣き喚く息子氏を抱っこしながら話しかけてくると、「何いきなり大声出して。何か怒ってるの?」と、とっさに思ってしまう。
まぁ泣き続けられているときは、無力感にさいなまれたり、どうしても気持ちが落ち着かないし、あと単純にうるさくてイライラする、というのももちろんあるし、そういう予測はあながち間違いではないのかもしれない。
さらに言えば、どうしても母親のほうが子どもの泣き声には敏感になるようできているみたいだし、早く何とかしてあげたくなる気持ちも父親より強くもちやすいのかもしれない。
・・・まぁ何が言いたいかっていうと、泣いている子どもを抱っこしている当事者は、傍から見ているより大変な思いをしている、イライラしているように見えたとしても当事者は自覚や悪気がなかったりする、ということ。
そしてそれらは当事者であるからこそ気づく/気づかないことがある。
そのことにも、当事者でなくなると、気づく/気づかなくなったりする、という難しさがある、そんなことを、何となく思ったんです。
想像力、大事。