元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

近いと、どうしても、うるさい

 

息子氏をあやし続ける、夫婦。

 

それが私たち。

 

そんな中、ふと、当たり前のことに気づく。

 

 

息子氏が泣き続けているとき、自分が抱っこしているときと、妻が抱っこしているときでは、同じ泣き声のはずが、その「うるささ」がまるで違う

 

声の発信源から近いほうが声は大きく聞こえ、遠い方が声は小さく聞こえる。

 そして泣いている息子氏を抱っこしている時は、泣き声の発信源は耳のすぐ近く。

なのでこれは、考えたら至極当たり前のこと。

 

ただ、泣き続ける息子氏を抱っこしながら、妻に声をかける時、反射的に息子氏の泣き声以上の音量で声をかけてしまい、妻をびっくりさせてしまう夫。それが私。

 

妻からすると、いきなり夫が大声を出すので、びっくりするのと同時に、何か怒っているのかという気になる。

 

これは、逆もまた然り。

 

人間、のど元過ぎたら熱さを忘れるようで、妻が泣き喚く息子氏を抱っこしながら話しかけてくると、「何いきなり大声出して。何か怒ってるの?」と、とっさに思ってしまう。

 

まぁ泣き続けられているときは、無力感にさいなまれたり、どうしても気持ちが落ち着かないし、あと単純にうるさくてイライラする、というのももちろんあるし、そういう予測はあながち間違いではないのかもしれない。

 

さらに言えば、どうしても母親のほうが子どもの泣き声には敏感になるようできているみたいだし、早く何とかしてあげたくなる気持ちも父親より強くもちやすいのかもしれない。

 

 

・・・まぁ何が言いたいかっていうと、泣いている子どもを抱っこしている当事者は、傍から見ているより大変な思いをしているイライラしているように見えたとしても当事者は自覚や悪気がなかったりする、ということ。

そしてそれらは当事者であるからこそ気づく/気づかないことがある。

そのことにも、当事者でなくなると、気づく/気づかなくなったりする、という難しさがある、そんなことを、何となく思ったんです。

 

想像力、大事。