「良妻賢母なんていう単語は私の辞書にはない」
そう妻は、言い放った。
・・・喧嘩しているわけではない。
普段の会話の中で、妻らしい一言として、自然に出てきた言葉である。
「あ、これブログに書いてもいいで」
とご丁寧に言ってくれたので、つらつらと思ったことを書いてみる。
・・・妻は、自分一人では非力であることをよく知っているし、変に背伸びをしない、自然と人の助けを借りられる人だと思う。
私は逆に、自分で色々しようとして、抱えがちな人であると思っているので、特に仕事をする上では、気を付けるようにしている。
あとそんな私からすると、そうやって気取らずに人の助けを得られるに妻の姿は、ある意味で潔く、清々しいとすら思う。
私は、妻はそれでいいと思っているし、「良妻賢母」を求めているわけでもない。
自分は、「良夫賢父」であれるならありたい、なんて向上心はなくはないけど、妻に「良妻賢母」であることを求められるほど、自分が「良夫賢父」だとは思わない。
あと仮に、誰かに「良夫賢父であれ!」と言われたとしても、それはそれで息苦しい。
とりあえず、お互いに、子育てを一人で抱えられるほどスキルもないし、頼れる方法があるなら頼りたい。
その結論が、我が家のツーオペ育児だった。
・・・「良妻賢母」をネット辞書で調べてみた。
女子の本来の任務は家を整え,子を産み,子を育てることにあるとする思想に基づいた婦人の理想像を表わした語。つまり,よき妻であり賢い母であることが婦人の理想とされ,したがって教育の目標とされた。この語は明治初期から用いられはじめたものであるが,その背景には,封建制社会のイデオロギーである儒教の男尊女卑思想があり,この思想のもとで女子には知的教養は不必要かつ有害とされ,同時に女子の社会活動が著しく制限された。維新以後男女同権思想が移入されながらも,ほとんど定着せず,良妻賢母を理想像として掲げ,男子に比べて著しく低い,技芸にかたよった教育が高等女学校を中心として実施された。明治以後,第2次世界大戦終了まで日本の女子教育の基本理念であった。
ほう、良妻賢母という言葉は、日本の女子教育の賜物なんやね。
明治から戦後までの教育理念ってあるけど・・・表立っては言われることは少なくなったとはいえ、そう考える風潮は未だに根強いんじゃないか、とは思う。
実際に、今現在も「良夫賢父」みたいな言葉は、日本にないしね。
あえていえば、個人的にはあまり好きな言葉ではないが、「イクメン」という言葉で育児をする男性がもてはやされる。
でも女性が同じことをしても、「イクママ」やら「イクウーメン」なんて呼ばれない。
こうやってパソコンで文字を打っていても、「良妻賢母」は一発変換されるのに、
「良夫賢父」は一文字ずつ変換しないといけなくてひどく面倒くさいので、途中からコピペに切り替えた。
・・・こうやって、「良妻賢母」が辞書に載り、「良夫賢父」が辞書に載らない時代。
そりゃ男性からしたらそうあってくれたら楽かもしれんけど、その分、女性が大変よね。
私としてはどうしても、なんか不公平で、 居心地悪く感じてしまう。
まぁこれも一つの価値観なので、それぞれの家庭でバランスの良いようにしてくれたらいいのだとは思うのですが。
・・少なくとも我が家の辞書には「良妻賢母」「良夫賢父」どちらの言葉も載らなさそうですし、それで困ることもなさそうです。