一人で立つ、ということ
娘氏が、1歳2か月を過ぎてきて、気づけば手を引いて歩けるようになってきたり、
いつの間にやら立ち上がってたり。娘氏自身も、自分で立っちができて嬉しそう。
ポヨンと座っては、再び立ち上がったりして遊んでいる。
うまく立っちができると嬉しそうに笑うので、これまた可愛い。
息子氏の時も、一人で立っちができたとき感動したなぁ。
・・・「自立」という言葉がある。
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に―する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「―式のパネル」
(goo辞書より)
まさに、娘氏は、他の助力なしに、立つことができている。
かたや、自立について、こんなことを言う先生もいる。
自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うこと
東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生の言葉。
新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ先生でもある。
・・・深みがすごい。
自立って、人の助けがないと成り立たないというパラダイムシフト。
自分自身、どれほど自立できているのだろうか、と思う。
かたや妻が、最近、初めてマッサージに行ってきた。
人に体を触られるのが嫌だと言いつつも、
相次ぐ抱っこの日々と、抗えない年齢の波と、冬の寒さも相まって、
決意したようだ。
初回なのでお試し30分でやってみたようだが、
案の定、全然足りなかったらしい。
ちなみに私は、月1~2回のマッサージ通いが欠かせない体になっている。
セルフケア、みたいなことはよく意識するのだが、
自分をケアしてもらう時間・人の確保も含めて、自立なのかもしれない、なんて
楽しそうに「自立」している娘氏を見ながら考えたりしている。