元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

「しつけは問答無用に行わない。しつけにこそ問答が必要。」


前々回前回に引き続き、こんな格言を思いついた。
なんだろう、ここ数回の格言ブーム。
 
今書きながら思うこととして、この間、妻が育児休業から復帰したり、
それでも娘氏がちょいちょい保育園を休んだりで
日々がとってもバタバタしている分、思考の渦に逃避しているのかもしれない。
 

 

・・・まぁそれはさておき。
 
時代劇とかで、「ちょっと待て、話せばわかる・・」⇒「問答無用!」って、
悪人?が刀で切られるシーンありますよね。
 

 

でも、しつけは問答無用じゃあいけないな、って自戒を込めて、思っています。
 


息子氏は、所謂イヤイヤ期とされる時期を経て、

ピークは過ぎたものの、自我が目覚めている。

つまりは自分の主張が出てきやすい大事な時期である。
 

ちなみにイヤイヤ期と言う呼び名自体、

親の目線に立ちすぎで実態がわかりにくい

という指摘があるらしい。
 


親目線で言うと、ただイヤって言いたいだけやろがい!

ってツッコミを入れたくなったり、

じゃあどうしたいねん!はっきりして!って

大変に思う気持ちは頷きすぎて首がもげそうになるくらい

わかりすぎるんだけれども。

 
子どもとのやり取りが面倒になったりしんどくなったりして、

「いいから○○しなさい!!!」「なんでもいいから早くして!!」

って怒鳴りたくなったりもして。

(その後に、言いすぎた、ごめん・・という後悔もセットで。嗚呼 涙)

 

 
これくらいの幼児期は、社会のルールや生活習慣を、子どもが『徐々に』学ぶ時期でもある。
 
それらは子どもの本能に反したりすることもあるし

(寝たい!遊びたい!食べたい!とか)
ただ自分が主張したい!とか主張できる自分を確認したい!

みたいな時期でもあったりするので、

そう簡単に「しつけ、終了!」とはならない。

 

 

だから『徐々に』学んでいく。
 

 

 

しつけは、子どもが自律的に生活を送れるよう、子どもの社会性を育む行為。

 

 
自律的というのは『自分を律する』と書く。

しつけの過程で、他人が子どもを律するという『他律』を

行うことはあったとしても、最終的に、

子ども自身がルール等を自分のものにしていく必要がある。

 

 
なので、しつけを『問答無用』で行っていては、

子どもはなぜ本能を脇に置いてまで

その社会的行動をとらないといけないのか、理解できない。

 

だから、その子どもの発達や状況に合わせた『問答が必要』になる。
 

 

それはかなり息の長い取り組みとなるので、

大人側の忍耐やエネルギーも必要になる。

 

「もういい加減分かれ!」「早く分かれ!」と言いたくなる気持ちを

『自分で律する』ことができるかどうか、大人側も問われることになる。
 

 


・・・やはり、適切なしつけを行うためにも、

必要な『問答』ができるよう、

大人側の『余裕』もまた、必要なのだと強く思う。