「子育てにはお金がかかる」というのは
なんだか当たり前のような言説になってしまっている。
そんな当たり前のようになっている言説に、
あえて疑問を呈することは科学者のお仕事だったりする。
そんなアメリカの科学者のお仕事がこちら↓
記事の中では、アメリカの事情を書いた2013年の論文が紹介されている。
日本に通じるものが多々あるなと思った。
アメリカでは、1人あたりの支出は1970年代から2000年代に倍増した。
一方で、育児の子ども一人あたりの支出は、倍増どころか40年間で約2,000%(約20倍)増加したらしい。
理由としては3つ挙げられている。自分なりの解釈も含めてまとめてみる。
① 人件費
育児労働者は身近にいる必要があり、賃金自体は他の職種と比べても低い水準ではあるものの、工業製品のように海外の安価な労働力を使うことができない。
つまり、その社会が豊かになれば、その分、人件費もあがる。
② 厳しい規制
「子どもは大事」ということがきちんと認識された社会ほど、育児業界に対して「きちんとした規制」がかかる。
すると、育児業界側としては、その規制に見合った水準の施設を準備せざるを得ない。例えば何人の子どもに何人の保育労働者が必要か、というのは、ぶっちゃけ手厚ければ手厚いほど子どもにとっては良い。
ただその手厚さはただでは買えない。
③ 不動産
保育には広い場所が必要だけど、都市であるほど広い土地にはお金がかかる。
また、都市に住んでいる親子が、子どもだけ田舎の保育所に、というわけにもいかない。必然的に、不動産の準備にお金がかかる。
アメリカのマサチューセッツ州では、保育所に子どもを預ける費用は年間170万円(月15万円近く)かかっているらしい。
日本の場合も、保護者の給与水準や、子どもの年齢や、自治体の制度などによっても変わるけど、保護者が月に何万円も支払っていることも珍しくない。
最初に書いた「子育てにはお金がかかる」というのは保護者目線で書いたものだけど、記事の内容は、社会として子育てをする場合にもお金がどんどんかかっていく、のは必然だ、ということ。
こういう話ばかりだと、お金がかかりすぎるという理由で、育児に消極的な社会になりそうだが、
育児への支出は、長期的に見たら社会的な恩恵が大いにある。
2015年アメリカの経済顧問評議会は、幼児教育に1ドル費やすごとに約8.60ドルの社会的利益がもたらされるとしている。
日本でも京都大学の柴田悠 准教授が2016年に著した
「子育て支援が日本を救う:政策効果の統計分析」という本で、
子育て支援に費用を社会として投じることが社会にとっての長期的利益になることを示している。
育児にはお金がとっても必要だけど、社会として長期的視野に立って、
きちんとコストをかけられるような社会であらねばならない。ケチってはいけない、という話。