俗っぽいけど、すごく共感してしまった記事。
育児休業から明けて以降、妻の職場の近くにある保育園&病児保育への送迎を
ほぼ一手にやってくれている妻。
バスでの通勤なので抱っこひもで毎日通っている。
息子氏は生後半年ほどから10kg近くあり、成長スピードは緩やかになったものの
今でも11kgを超えている重量級なので、ほんと体力仕事。
その分、自分ができることとして、私も日々の家事を主に担っていたが
(日々の掃除・洗濯・買い物・ゴミ出し・平日の食事作りなど)、
自分が体調崩した時そのシステムの脆弱性が明らかになったので
(=家事のまわらなさがやばかった)ので、緊急家族会議が開かれ、
時短家電の購入など家事の自動化・外注化に今更ながらふみきることにした。
(ワーク・ライフ・バランスのために時短の方略を厭わない - 元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog)
・・家事って毎日のことだから、いかに無理なく続けるかを模索して、
作れる余裕はちゃんと確保する必要がある。
でないと、ほっといたらどんどん余裕なくして毎日ギスギスしてしまう。
少なくとも、私はもともと妻が大変だから自分で出来ることはやろう、
という意識であったのに、いつの間にか妻に色々求めていたのかもしれない
なんてことも家族会議を通して感じたりした。
毎日の生活がスムーズにいくのは決して当たり前じゃないし、
いってるとしたら、そこには、それなりのコストなり労力なり工夫がある。
最近、そんなことをよく考えるようになった。
この世にとりあえず生きている人たちは、ただそれだけで
過去や現在の人たちの「おかげさま」で成り立っている。
自分1人で生きてきたようなことを言う人も、決してそうではない。
日々、是、感謝。
これ家訓にしようかな。