息子氏は新しいものを見つけたら、もれなく、
①手に取る
②しげしげと眺める
③しゃぶり尽くす
という対応をとる。
もちろん、世の中には、息子氏にはまだ触ってほしくないもの、触ると危ないもの、絶対に口に入れてはいけないものは多数ある。
ぱっと思いつくものだけでも、割れ物、紐やコード類、薬、電池、ランチョンマット・・ などなど、きりがない。
むしろ触ったり口に入れたりできるもののほうが少ないんじゃないかな。
とはいえ、息子氏はまだ親の注意を聞く年齢でもないので本人に言うても仕方ないし、
周りができる危険回避としては「息子氏の手の届かないところに離す」という対策になる。
そして息子氏は、好奇心旺盛にいろいろなものを探索し、まさぐる。
面白そうなものが目に入るとなんとか手にしようと、手を伸ばしたり、移動したりするようになっている。
そうやって何とか手にしたものでも、親が見つければ取り上げて、息子氏から離す。
・・・これまではそれで何とかなっていた。
つまり、目の前からその物がなくなれば、他のもので遊んでくれていた。
しかし最近「取り上げられたら泣く」ということが顕著になってきた。
ある意味で、目的的な行動とか、自分の欲求とかがはっきりしてきたからかもしれないなぁと思う。
昔、ピアジェの発達段階を学んでいたことの振り返りだが、乳児期の感覚・運動期に当てはめて考えれば、
第1次循環反応
・指吸いとか自分の身体に触れたり叩いたりすることをくりかえす。
第2次循環反応
・偶然手に触れた物を操作する(掴んだり引っ張ったり投げたりする)ことをくりかえし、自分の行動によってどのような結果が生じるか、感覚的にとらえるようになる
息子氏は、これらを経て、いつの間にか
第3次循環反応
・目的と手段の関係を理解するようになり、いわば「~のために行動する」ことをくりかえし実践する。
ということが可能になっているのだと思う。
「なんとか手に入れたもの」がなくなるからこそ、不満が生じ、泣いている。
同じ「泣く」という行動でも、その背景で、息子氏の中で何が起こっているのかはその時々で違うし、発達的な時期によっても特徴が違ったりする。
それらを理解しようとすることも、ある意味で共感的な対応ということで息子氏にとってはよいのかもしれないなぁ。
こうやって理論と実践って紐づいていくのかなぁ。
・・なんてことを、泣いている息子氏をなだめながらそれっぽく考えてみた。