ふと目にした、こんなマンガを読んでみた。
夫婦ともにフリーランスの漫画家で、事実婚という、まぁもしかしたら一般的ではないようなお二人のツーオペ育児について書かれているのですが、色々と考えさせられるものがありました。
印象に残ったのはこの言葉↓
・・ワンオペ育児とかオーバーワークとか、ワーカーホリックって、結局大変だし、辛いし、ヘタすると死ぬくらいの恐ろしいものなんだけど、同時に「ご褒美」があるんですよね。「頑張ってる」と「達成感」もあるし、なにより・・「自分のダメなところを見なくて済む」のだと思うのです。「できない」「助けてほしい」「もう無理」って言っちゃうと、自分の弱さを受け入れないといけないし、恥ずかしい。誰かに責められてるような気がして落ち着かない。でもたぶん、それが言えないのって、自分が一番自分を責めるからなんじゃないかな。(p71-72より。太字は私)
私自身にも、そういう所(自分のだめなことを見ないためにオーバーワークする)は正直あったし、むしろ今もあるかもしれないなぁと思った。
・・・子育てって、どうしても自分自身と向き合わざるを得ない作業でもあると思う。
自分が育てられた環境が、自分の子育てに影響することは少なからず誰しもあることだし、自分の歴史と向き合わざるを得ないっていう意味もある。
ただそれより何より「自分の無力さ」に、否が応でも向き合わざるを得ない。
もちろん、育児スキルは少しずつ上がっていって、少しずつはできることは増えていくのだが、「自分ではどうしようもないことに頻繁に直面する」ということからは避けられない。
あと5分で出かけたいのに・・とか、眠くて仕方ないのに・・とか、自分がしたいと思う手順や時間の使い方が、子どもによって無に帰することなんてザラ。
泣きわめくとか、うんちを盛大に漏らされるとか。
だって赤子だもの。仕方ないです。
どうやったって、自分の思い通りにいくわけない。
そんな自分の無力さに、向き合わざるを得ない。
子育てに限らず、本来はどうしようもないことを無理にコントロールしようとすると、歪みが生じる、と思う。
感情的になるとか、支配的になるとか、子育てに関して言えば、最悪、虐待とか。
何とかしようがあることと、何ともしようがないこと。
あと、毎日無理をせず何とかできることと、毎日無理をしてようやく何とかできること。
そこらへんの見極めは大事だと思う。
頑張ることは否定しないし、子育てにおいて「気合い」は超、大切。
ただ毎日無理をして頑張っていたら、必ずどこかでしわ寄せがくる。
仕事でもそうだけど、一人で抱え込んで、無理に何とかしようとしても、事態が複雑化すると、いざ人に頼ろうとしても難しくなる。
日々、言葉化していないと、いざというときに言語化しにくい。
そして余計に、一人で抱え込みがちになる、という悪循環。
そうなる前に、どこかで別のルートが必要。
もちろん、一人で抱え込まなくてすむ前提として、助けを求められるくらい親密な距離の人が、日常的にかかわり、会話できる状態であること、が必要だと思う。
「孤育て」しなくてもよい状態というか。一緒に子育てしてくれるくらいの人がいるとか。
・・・こう考えていくと、結局、子育てが「孤育て」にならないように、子育てを無理に頑張り続けないですむためには、日々の人手がいる。
そしてその人たちとスムーズに連携・協力体制や信頼関係を築けるような仕組みなりルールなりが必要となってくる。
我が家は今は、大丈夫だ(と思う)けど、自分の職場みたいに、子育てを仕事とする場では、たまにしか行かない人は、日常的に子どもと関わっている人からすると、そういった存在にはなりえないのかもしれない。
いや、それも工夫しながら乗り切っていくしかないのかなぁ。
うーん、知恵が試されるなぁ。
・・・いい加減まとまらなくなってきた。
オチも何もないが、今日はこの辺にしておこう。
とにかく、人間、続けられることしか続けられない。
当たり前のことを当たり前にする、それだけで、いいんだと思う。