育休パパが子育て支援とか考えつつ日々のことを記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業をとることになった。そんな人が書くブログです。

無理して頑張ったとしても続くかどうか

 

三日連続で、育児マンガからネタを。

 

ふと目にした、こんなマンガを読んでみた。

www.shinchosha.co.jp

 

夫婦ともにフリーランスの漫画家で、事実婚という、まぁもしかしたら一般的ではないようなお二人のツーオペ育児について書かれているのですが、色々と考えさせられるものがありました。

印象に残ったのはこの言葉↓

・・ワンオペ育児とかオーバーワークとか、ワーカーホリックって、結局大変だし、辛いし、ヘタすると死ぬくらいの恐ろしいものなんだけど、同時に「ご褒美」があるんですよね。「頑張ってる」と「達成感」もあるし、なにより・・「自分のダメなところを見なくて済む」のだと思うのです。「できない」「助けてほしい」「もう無理」って言っちゃうと、自分の弱さを受け入れないといけないし、恥ずかしい。誰かに責められてるような気がして落ち着かない。でもたぶん、それが言えないのって、自分が一番自分を責めるからなんじゃないかな。(p71-72より。太字は私)

 

私自身にも、そういう所(自分のだめなことを見ないためにオーバーワークする)は正直あったし、むしろ今もあるかもしれないなぁと思った。

 

・・・子育てって、どうしても自分自身と向き合わざるを得ない作業でもあると思う。

 

自分が育てられた環境が、自分の子育てに影響することは少なからず誰しもあることだし、自分の歴史と向き合わざるを得ないっていう意味もある。

ただそれより何より「自分の無力さ」に、否が応でも向き合わざるを得ない。

 

もちろん、育児スキルは少しずつ上がっていって、少しずつはできることは増えていくのだが、「自分ではどうしようもないことに頻繁に直面する」ということからは避けられない。

 

あと5分で出かけたいのに・・とか、眠くて仕方ないのに・・とか、自分がしたいと思う手順や時間の使い方が、子どもによって無に帰することなんてザラ。

泣きわめくとか、うんちを盛大に漏らされるとか。

 

だって赤子だもの。仕方ないです。 

どうやったって、自分の思い通りにいくわけない。

そんな自分の無力さに、向き合わざるを得ない。

 

子育てに限らず、本来はどうしようもないことを無理にコントロールしようとすると、歪みが生じる、と思う。

 

感情的になるとか、支配的になるとか、子育てに関して言えば、最悪、虐待とか。

 

何とかしようがあることと、何ともしようがないこと。

あと、毎日無理をせず何とかできることと、毎日無理をしてようやく何とかできること。

 

そこらへんの見極めは大事だと思う。

頑張ることは否定しないし、子育てにおいて「気合い」は超、大切。

ただ毎日無理をして頑張っていたら、必ずどこかでしわ寄せがくる。

 

仕事でもそうだけど、一人で抱え込んで、無理に何とかしようとしても、事態が複雑化すると、いざ人に頼ろうとしても難しくなる。

日々、言葉化していないと、いざというときに言語化しにくい。

そして余計に、一人で抱え込みがちになる、という悪循環。

 

そうなる前に、どこかで別のルートが必要。

 

もちろん、一人で抱え込まなくてすむ前提として、助けを求められるくらい親密な距離の人が、日常的にかかわり、会話できる状態であること、が必要だと思う。

 

「孤育て」しなくてもよい状態というか。一緒に子育てしてくれるくらいの人がいるとか。

 

・・・こう考えていくと、結局、子育てが「孤育て」にならないように、子育てを無理に頑張り続けないですむためには、日々の人手がいる。

 

そしてその人たちとスムーズに連携・協力体制や信頼関係を築けるような仕組みなりルールなりが必要となってくる。

 

我が家は今は、大丈夫だ(と思う)けど、自分の職場みたいに、子育てを仕事とする場では、たまにしか行かない人は、日常的に子どもと関わっている人からすると、そういった存在にはなりえないのかもしれない。

 

いや、それも工夫しながら乗り切っていくしかないのかなぁ。

うーん、知恵が試されるなぁ。

 

・・・いい加減まとまらなくなってきた。

オチも何もないが、今日はこの辺にしておこう。

 

 

とにかく、人間、続けられることしか続けられない。

 

当たり前のことを当たり前にする、それだけで、いいんだと思う。