元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業をとることにし、周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰をした。そんな人が育児休業開始時から書き始めて、終了後も不定期に書き続けているブログです。

子育ては苦労してなんぼ?

 

 タイトルに示したような価値観って、根強いような気がします。

 

 

お腹を痛めた子じゃないと愛情が生まれないとかいって帝王切開や無痛分娩を批判するご年配の方々もいるそうですね。まぁ、実際どれくらいいるか知りませんが。

 

心理学的にいうと、フェスティンガーの認知的不協和理論に基づく、「努力の正当化」現象ですね。

要は、自分が頑張って苦労して手に入れたもの価値がないと考えることは心理的に不協和を生じるから、その努力を正当化する方向に態度が変わる、ということ。

 

自分の努力を正当化して「私は頑張った!だからこそ愛情が深い!」と考えるのは勝手にしたらいいし、そう考えるのはある意味自然なことではあるかもしれないけど、それぞれの人には、それぞれの人の事情や価値観があるのもまた、至極当然なことではある。

 

なので、自分の努力のみを基準にして相手を批判する、というのは、苦労神話を相手に押し付けているだけで、少なくとも相手のためにはならない。

 

そして、子育てに「苦労神話」を強いることは、養育者のためにならない。

ひいては、子育てされている子どものためにもならない、と思う。

 

 

ワンオペママと話して思ったこと 

昨日、学生時代の知り合いたちと勉強会で集まることがあり、昔の同級生と帰りの電車で一緒になった。

その同級生は、一歳の子どもを育てるママさんになっていた。

 

その同級生の旦那さんは、自分たちが寝るよりも早く出勤し、自分たちが寝てから夜遅く帰ってくる、という生活だそうだ。

かといって自分が長く眠れているわけではなく、この1年間ほど、まとめて2時間以上寝た記憶がない、とのこと。

そして日中はずっと、子どもと二人きり。まさに「密室育児」なので、久しぶりに知り合いと話せて、「社会」と関われて楽しかった、と言っていた。

 

・・・私が育児休業を取っていることについて、「いいねぇ、お子さん、幸せやね・・」としみじみ言われた。

 その同級生は、言葉にこそ出さなかったけど、「それに比べて自分の子どもは・・・どうなんやろう」という思いが、なんとなく感じられた気がした。

 

 

家事・育児も立派な仕事!というセリフをどこかで聞いたことがある気がする。

 

ただ、ワンオペ育児だって仕事、だとすれば、完全なブラック企業だと思う。

 

 

睡眠時間とか必要な労働量とか無視して、人間としての限界を超えた身体的・精神的な労働を、労働させる側が当事者側の立場について想像力を働かせないまま、目に見えない圧力(こうするのが当然だ、素晴らしいことだ)で洗脳して、個人の責任感にすべて押し付けている。

そしてそんなシステムが継続することで、異常事態が常態化する。

 

決して、他の人も普通にやっているから当たり前、なのではない。

そこには、ブラック企業の中で、責任感ゆえに耐えている養育者がいるだけ。

むしろ、心身壊して当たり前の世界。

 

・・・その同級生ワンオペママさんは、学生時代、私のウン百倍優秀な人だった。

他者への気遣いも自然にできる一方で、合理的に考え、思いきり良く行動出来たりもする。それは久しぶりに会っても変わらなかった。

 

そんな人が、ワンオペで一人の子どもの育児に専念しないといけない現実。

その人の能力・努力が仕事に活かされていたら、どれだけの社会的利益があるんだろう、と考えてしまう。

そしてその人がそれだけ気力・体力・知力をふりしぼって何とか成り立っている、子育て。本当に、大変だ。

  

その同級生の旦那さんも、お会いしたことはないのでよく知らないが、働き詰めで大変な思いをしているのかもしれない、子育てに携わりたくてもできない事情もあるのかもしれない。

 

もちろん、子育てだって、社会的に利益があることだと思うし、少子化の時代にあって、本当に素晴らしいことだと思う。

お子さんが、日々死なずになんとか生きている、それだけで誰がなんと言おうと、拍手喝采なんだと思う。

 

・・・ただそれでも、やはり疲れが伺えるママさんを見ると、もう少し、何とか少しでも楽に子育てできる手立てはないのかなぁ、と考えてしまった。

 

 

ワンオペ育児は、リスキーすぎる

 ワンオペ育児が少しずつ社会問題化していますが、その議論の中で置き去りになりがちなのが、“ワンオペ育児は、リスキーである”という「事実」だと思う。

 

実際、厚生労働省が公開している「子ども虐待の手引き」でも、養育環境のリスク要因として、親族や地域社会から孤立した家庭、ひとり親家庭などが挙げられている。

 

また私自身、虐待リスクとは、危険な養育者が子育てしているかどうかではなく、「養育者が、その人に見合った十分な支援が受けられておらず、余裕のある子育てが難しくなった/なっている状態」なのだと思っている。

 

育児休業とった男性へのアンケート結果からも、“新生児育児ワンオペはただの無理ゲーである”という感想が述べられている。

 

 

そして誤解されがちなことではあるが、歴史的に見ても、ワンオペ育児は、核家族化が進んできた現代ゆえの産物で、歴史が非常に短い。決して当たり前の状態ではない。

 

さらに、半数以上が共働き世帯とされる現代においては、当然のようにワンオペ育児を女性が担うのは、実質的に無理がある。

 

多くの場合、優秀な、努力家のママさんが、歯をくいしばって、なんとか成立しているにすぎないし、それが当たり前になってはいけないと思う。

 

ツーオペ育児は、悪い?

 正直、上記の同級生ワンオペママさんと話していて、自分の中に、罪悪感が芽生えた。

「なんか、俺ばっか楽してごめん」みたいな感情。

 

以前に書いたように、男性の育児休業取得率は、1週間以内のものが圧倒的多数であることを含みいれても、3%程度しかない。

国の制度ができたことで、選択肢自体は増えているが、実質的に、色々な事情で、育児休業を取るという選択肢をとることに躊躇する人のほうが、圧倒的に多い。

 その中で、少なくとも1年間、ツーオペで育児できる我が家は、本当に恵まれてるし、それができる環境には、感謝しかない。

 

ただ一方で、男性が長期間育児休業を取ることについては、共感を得にくい、という事実はある。


しかも、これまた以前書いたように、自分の育児休業取得の決定打は、育児が初めてのことすぎて、現在の生活に育児が加わることへの果てしない不安であった。

 もっと大変な思いをして育児をしている人は大勢いるだろうし、逆に言うと、もっと大変な思いをして育児をしている人からしたら、羨ましがられたり妬まれたりしても不思議ではないと思う。

そうやって、自分の不安を理由に、職場の人たちにも負担を与えてまで、レアな男性育児休業を取得したことへの罪悪感は、いまだにある。

 

ただ自分にできることは、罪悪感以上に感謝の思いをもって、日々励むことだと思うし、復帰後、職場や社会に貢献することなのだ、とも今は思っている。

 

また願わくば、子どもや母親の支援のためにも、男性側の育児休業も、自然と、そして積極的に取得できる社会になっていってほしい、と思う。

 

「抱えない」子育て

 私が職場で1年間の育児休業を取れたのは、本当にラッキーでしかない。

 

職場自体が「児童福祉施設」であるがゆえに、応援してくれたという面もあると思う。

 

今の上長は、できるだけ職員の休みを確保しようとしてくれている人ではあるし、施設として、配置基準よりできるだけ多目に人員を確保しようとしてくれている。

それでも1人で10人程度、もしくはそれ以上の子どもたちを一度にみないといけないこともよくある。

 

仕事でしょ、と言われるかもしれないが、実際どれほど心身を擦り減らす仕事なのか、私自身、今の職場にくるまでわかっていなかった。

みんな仕事だから何とか頑張っているけど、基本的に、ただの無理ゲーだと思う。

その無理ゲーを何とか工夫しながら乗り切っているだけ。

 

 

そして24時間臨戦態勢を強いられるワンオペ育児は、確実に、ただの無理ゲーだと思う。

 

子育てにおける物理的・精神的なしんどさについて、それこそ養育者の物理的・精神的なしんどさが軽減できるよう、子育てに色々な人が関われるようであってほしい、と願う。

 

そして子どもを育む、ということについて、何が当たり前なのか、何が大変なのか、自然な感覚で、事実をふまえて問い直すことは、必要だと思う。

 

かくいう私自身、どこまで深めて問い直して考えられているかわからないが、少なくとも、「ひとりで抱える子育て」は、本当に無理ゲーだと感じているし、リスキーだと思っている。

 メインとなる養育者が、「ひとりで抱えない」ですむために、養育者もその周囲の人たちも、より積極的になる必要がある。そして何より、その人たちがより積極的になれる体制が、求められている。

  

 

・・・最終的に、世の養育者がみんな、“笑顔より多め”に子育てができてほしい。

それが結果的に、子どものためになる。

 

 

そんな風に考えながら、今日も息子氏の様子に一喜一憂して子育てをしている私。