元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

ごく普通の3歳を迎えた息子氏におとずれた、ちょっとしたキセキ

去る2月4日に誕生日を迎え、見事に3歳になった息子氏。

 

きちんと「いくつになった?」と尋ねたら「さんさーい」と言えるよう仕込み済み。

 

余談ですが、手指の発達的に、ちょうど1歳の時は指1本、2歳の時は指2本、3歳の時には指3本を立てられるように、うまいことできてるらしい。

息子氏も、指3


本立てて「さんさーい」と言えるようになりました。

 

そして多くの男の子同様、車やら電車やら、車輪がついた乗り物に目がない息子氏に、乗り物図鑑でずっと目をつけられていたドクターイエローはやぶさプラレールを買い与えてみました。


そのニヤケ顔・・・もとい、嬉しそうな顔ったらない。

 

 

何にせよ、喜んでくれたならよかったよかった。

 

 

 


そんな息子氏を三輪車に乗せて散歩中、息子氏と新幹線をカメラに収めようとしていたら、新幹線の背後から不意にドクターイエローが現れ、息子氏とドクターイエロー含むN700系新幹線のコラボ写真が爆誕!!!

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・・・運行日時も非公開なドクターイエロー

さらに調べていたら、今年度末以降、廃止の可能性が高いとのこと。

これまたレアな・・・。

jikokuhyo.train-times.net

 

 

自分も生まれて初めてリアルで見たため、つい「ぅわ!ドクターイエローや!!」と少年っぽい声が出てしまった。

 

 

そんなラッキーな息子氏の3歳は、間違いなく輝いている。

 

およよ

 

「およよ」と聞いて、何が浮かぶか。

 

桂文枝師匠のギャグだと答えたあなたは、

間違いなく、子育て現役世代ではない。

 

 

それくらい子育て中のパパママさんに衝撃を与えたのが

「おたすけ!およよマン」である。

www.youtube.com

 

時に攻めすぎな姿勢が評判のEテレの悪ふざけのようで、

これがどうして、中毒性が異常に高い。

 

今月に放送されたばかりのはずだが、

これまで何度、仕事中に頭の中を支配された事か。

 

息子氏も大好きで、この曲が流れると、

「およよ、およよ、およよ、およよ、およおよよ~」

と歌いながら飛び跳ね続ける。

 

 

こういうセンス、ほんと見習いたい。

手と足を発見した娘氏

最近、娘氏が、自分の手を動かしながらまじまじと観察しているのを発見した。

 

何やら自分の意のままに動くおもちゃを発見したような感覚かもしれない。

そうやって、脳のシナプスが繋がって、育っているのだろう。

 

 

さらにもう少ししたら、自分の足も発見したらしい。

 

ちょうどよく手の届く場所にあることもあってか

寝転がりながらこんなポーズでいることが多くなった↓

 

 

ずっと足をあげているなんて腹筋も大変そうだが、

それは手で支えているからまぁいいのかもしれない。

 

・・なんてよくわからないことを考えたりする。

 

 

 

まぁ何はともあれ、可愛いポーズであるのは間違いない。

 

学びが止まらない

 

数か月前、保育園でお勉強に取り組んでいることに気付き、

わーるどわいどな絶妙なチョイスの学びもあったことを、息子氏の育ちを通して知り、

イチ保護者として、ありがたく思っていました。

 

 

本当にいつからやっていたのかわからないですが、

気づけば新しい単語を輸入してきています。

 

 

外国の名前では、メジャーどころの「いたりあ、ふらんす、るくせんぶるく」あたりの国名を不意にこなしたり、

やま、かわ、いし、つち、つき、ほし、いけ、みずうみ、そら、うみ」と自然物の名称を諳んじたり。

 

 

 

そこで、なにか家でも覚えさせる言葉はないかと思い悩んだ結果、

禁断の必殺技「これなーに?」を覚えさせることにしましたた。

 

 

この必殺技を習得すると、自発的に興味を持ったものに対して発することができ、

大人がその名称を教える、というループができて、

ボキャブラリーが爆発的に増えていく。

 

 

 一方で、大人側にとっては諸刃の剣にもなり得る必殺技でもある。

 

 

というのも「これなーに?」を覚えた息子氏の波状攻撃を食らう可能性が高い。

 

 

 

もちろん、大人はこのタイミングを逃すまいと、

「なんぼほど聞くねん!!」とツッコミたくなりながらも、

忍耐強く、関わることが大切だと言われる。

 

 

 

・・・こうやって息子氏レベルが一段と上がっていくにつれ、

親側も鍛えられていく。

 

 

よし、がんばっていこう。

トイレットトレーニング、再び中断

 

 

半年ぶりに腰を入れてトイレットトレーニングを行おうと思い至り、

少しずつ成果も見えてきたところではありますが、

このたび、トイレットトレーニングは、やむなく中断に追い込まれました。

 

 

 

というのも、今週息子氏が、半年ぶりくらいに、発熱したため。

 

 

・・・38℃でたのはいつ以来だろう。

 

 

 

土曜日の朝に発熱して病院にもかかったし、

日曜の晩には解熱するという、本当に一時的な発熱。

そして、今年度2回目の発熱。

 

むしろ、息子氏の免疫力の高さと、両親の仕事への影響を最低限にした

空気を読んだ発熱の仕方に感動しつつも、

いかんせん、世の中は緊急事態宣言が再発令中。

 

 

・・・えっと、トイレットトレーニングのためのとはいえ、

下半身すっぽんぽんで日中過ごさせたのが要因の一つなのは認めざるを得ない。

 

 

子どもの重症事例はほとんどないし、むしろ子どもを休ませることの弊害のほうが大きいことから、再発令においては、学校や保育所の閉鎖がされていない。

 

 

 

とはいえ、この状況下で、わざわざ熱を出させるリスクを冒す理由は、ない。

 

 

 

 

 

我が家としては、オリンピックの開催以上に、

トイレットトレーニングの再開のほうが重要な課題であるが・・・

 

 

ここで中断しておかざるを得ない。

 

 

辞める勇気も、時には大切。 

 

 

 

もう少し暖かくなってきたら、再開できるかな。

 

できたらいいな。

トイレットトレーニングの再開!?

保育園でトイレットトレーニングを中断して早半年。

 

時間がないことを言い訳に出来ないくらい、例年になくゆっくり過ごせる

年末年始に、息子氏のトイレットトレーニングを再開してみることにした。

 

まずは今の息子氏が、どれくらいのタイミングでおしっこをするのかを確認するため、

部屋を暖かくしつつ、下半身をすっぽんぽんにして過ごさせてみた。

 

 

・・・結果、おしっこが近くなっているのが見て明らかにわかるくらい、

足元が落ち着かず、ソワソワとする息子氏が誕生。

 

 

どうやら、息子氏は、オムツ以外でおしっこができない身体に仕上がってしまっているようだ。

 

 

 

作戦変更。

 

 

以前にも紹介したこの本を参考にして、

トイレで本児が楽しんでいるうちに思わずおしっこが出るように仕向ける。

(画像はAmazonより)

 

 

子ども向けのトイレットトレーニングの動画を見せてみたり、

お腹を軽く押して膀胱を刺激するという変化球も織り交ぜながら、

 

息子氏とトイレで過ごすこと、1時間ほど。

 

 

 

ようやく息子氏、トイレでおしっこができました!!

 

 

 

・・・というのが実は1週間前。

その後、やはりオムツ以外でおしっこができないまま、

両親の仕事も始まり、トイレットトレーニングが

なかなか進まないまま日が過ぎる。

 

 

と思っていたら、この週末で、お風呂で息子氏が不意に排尿!

 

 

「おしっこを出していい時に、出そうとして出す」

という身体コントロールは、意外と難しいけど、

 半年ほど全く進展がなかった(させてあげられてなかった)ので、

着実にステップアップしている気がして素直にうれしい。

 

 

もう少し、あと少し。

鬼滅の刃から「平凡な日常の尊さ」に思いを馳せた正月

・・今年初投稿ですが、昨年の緊急事態宣言の最中に大好きだった祖母を亡くしたので年賀の挨拶はなしで。


年末年始は久しぶりに結構しっかり連休をとったものの、どこにいくでもなく、リモート呑みとリモート帰省を少ししたくらいで、家族とゆっくり過ごすことにしました。

 

この間、「鬼滅の刃」を徹夜で一気読み(初見)したせいか、割とマジメに、ただただ平凡な1日があることに心から感謝しています。


 

 

永遠のように感じられて、でも決して永遠でない。

 

必ずいつか過ぎ去り、思い出になる。

 

 

 

平穏なようで、実際には、薄氷のように、

 

ふとした不条理が起きればなくなってしまう。

 

 

 

なんてことのない「日常」がそこにある。

 

 

 

 

いつもの人と、いつものように、過ごせること。

 

それって決して、当たり前じゃない。

 

 

きっと、失ってはじめてわかる、宝物。

 

失ったときに必ず後悔する、宝物。

 

 

ただ、自分にとって大事な人と、心から笑い合ったり、ただ日常をともにした思い出。

 

その思い出だけで、人は人として生きていける。

 

 

そんな気がした。

 

 

・・うん、我ながら、非常にわかりやすく影響をうけている。

 

 

 

兎にも角にも、不条理に命を脅かされることもあるこの世の中で、

個々の物語を大切に、人間として大事なことを見失わずに生きたいものです。

 

 

 

 

今年もよろしくお願いします。