元・育休パパが子育て支援とか考えつつ日々を記すblog

児童福祉施設の相談員として子育て支援・家庭支援に携わるようになったものの、第一子誕生を機に、自分自身の子育て・家庭が疎かになることへの危機感を抱き、子育てしつつ足元を見つめ直す必要を感じ、一年間+αの育児休業を取得 ⇒ 周囲の多大なる協力もあり、無事に育児休業を終えて職場復帰 ⇒ 3年後の第二子誕生時にも2か月の育休 ⇒ 時短勤務継続中。そんな人が第一子育児休業開始時から書き始めて、その後も不定期だったりまとめて書いたりしながらボチボチ続けているブログです。

てくてく

年末くらいに、ベビーゲート内でととっと歩いた?くらいになっていた息子氏。

それから1週間くらいたち・・・

 

「てくてく歩く」くらいに進化しました。

 

まだ数歩ほど歩いては、ポヨンとしりもちをつく、という繰り返しですが、

いやぁ、二足歩行に進化すると、一気に人間じみてくる。

「話したい」という欲求

 

 

私と妻も、育児休業を夫婦でとり、お付き合いして以降これまでにないほど

夫婦で過ごし、話し合う時間が増えている。

 

・・・と思っていた。

 

 

共に過ごす時間が長くなってくると、それまでお互い気づかなかったり流していたりした課題が浮き彫りになることがある。

 

 

我が家でも、浮き彫りになってきた課題がある。

 

 

ずばり「会話量に対する満足度の差異」である。

 

 

つまり、妻からすると、もっともっと話がしたいのだという。

 

まぁもう話をしたくない、と言われるよりかは有難いことなのかもしれないが、

自分としては十分に話し合う時間はできていると思っていた現状に対して、

妻としては不満なのだと明言されたので、いささか戸惑った。

 

 

どれくらいずれているのだろう、ということを明らかにするため、

わかりやすく、現在の会話量の満足度をそれぞれで100点満点でつけてみた。

 

 

私:100点

 

妻:10点

 

 

・・・そんなに??と驚く私。

 

だが妻の話をよくよく聞いていると、一緒にいる間は四六時中会話していたいくらいだし、女性である私にとってはそれが自然なのだ、とのこと。

 

 

妻が話し相手が欲しいとこれまでにも言っていたし、

「女性の話したい欲は尽きることがない」「女性は息を吐くように話す」

と言われたこともあるので主張としては一貫している。

 

 

 

それにしてもそんなに満足度にずれがあるのか、と驚いた。

 

もともと自分の事をあれこれ人に言う方でもない私には、

「話したい」という欲求が少ないのかもしれない。

男女差を言うのはあまり好きではないが、自分で思うよりも男性的な脳なのかもしれないとすら思う。

 

まぁ確かに、一緒にいる時でも息子氏がいたりして「夫婦の会話」って少なくなりがちだし、

私自身も、なんやかんや勉強したりパソコンやスマホに向かっていたりすることは少なからずある。

 

 

ただそれなら良い聴き役に徹する、というのも手かもしれないが、

それだと妻は満足しても、私は会話で満足するというタイプではないし、

他にやりたいこともあるし、良い聴き役に徹するのは仕事だけで十分、

という思いもある。

 

 

さてどうするか・・・

 

いずれにせよ、夫婦の話し合いは、引き続き必要なことは間違いない。

 

保育所入所への関門

役所がやっている保育所面接に息子氏+夫婦で行ってきた。

 

これまで、私が育児休業から復帰したら元通りシフト制になるのと、

家の近くに保育所がないことなどの理由から、

当初から妻の職場の近くの保育所を第一希望として、

 見学や手続きをしてきた。

 

そしてようやくその大きな関門の一つ、「面接」に行ってきた。

 

・・・そもそも役所での面接って何をするんやろう?と夫婦で内心ドキドキしながら

余裕をもって受付開始時間前に到着するも、すでに先に来ている親子連れがちらほら。

 

 

ほんのちょっとだけ焦ったりもしたが、この自治体は、

少子高齢化のあおりを受け、むしろ高齢化率の高さが課題になっているというのと、

ここまできて受付先着順で決まるなんてこともないだろう

高を括ることにして、気持ちを落ち着ける。

 

 

会場内をきょろきょろしていると、

管轄内の保育所の募集人数と第一希望者数が

それぞれ表になって明示されているのを発見。

 

それを見ると、その自治体の中で20か所くらいある保育所のうち、

第一希望者数のほうが多いのは数か所のみ。

 

そして自分たちが第一希望にしている保育所は・・・

「5人」の募集人数枠に「3人」の第一希望者数。

 

第一関門突破!

てかほぼ内定じゃね?これ。

 

・・・少子化における数少ない恩恵を受けた気分になり、複雑な思いに駆られる。

 

 

 

そして会場内にあるキッズスペースで息子氏を遊ばせつつも

同じ会場にいる同級生になるかもしれない親子たちと

なんとなく触れ合いつつ、様子を伺いつつ、面接を待つ。

 

 

・・・

 

 

約2時間。呼ばれなかった。

 

 

むしろ私たちの後に会場に来た親子さんもすでに終わっている人がちらほら

・・・・と思っている間に、受付開始前からいる親子は私たちだけになる。

 

まさか2時間もかかるとと思ってなかったし、

授乳やらオムツ替えも移動時間も含めるとだいぶ空いているので、

息子氏もぐずぐずなり始める

 

こういうとき、動いたタイミングで呼ばれたら面倒くさいし、

いないことを理由にさらに後回しにされちゃかなわんなぁ、

というか、なぜこんなに時間がかかってるんやろう?

保育所ごとに順番にやっている?

 何か書類に著しい不備があった?

夫婦二人の育休取得について扱いあぐねている?

・・・なんて色々考えて夫婦で戦々恐々と話し合う。

 

しかし、息子氏の落ち着きはどんどんなくなってくるし、

それに呼応するかのようにこちらもイライラもしてきてしまうので、

職員さんに声をかけて確認した。

 

 

・・・結果、受付係の方の不手際で、ナンバリングしている札や書類を

間違えて私たちに全部渡してしまっていたことが判明する。

 

つまり、受付の中に私たちの札や書類がないので、そのまま何時間待っても、

呼ばれることは絶対にない状態のまま、2時間が経過していたようだ。

 

 

受付の方に平謝りされ、その後間もなく面接が開始される運びとなった。

 

 

そして面接というのも、役所の職員さんが書類の不備や確認をしたり、

必要に応じて追加書類を指示されるのみで、これまたものの数分で終わるものだった。

 

 

緊張して&長いこと待って損をしたような気になりつつ、

兎にも角にも第二関門を突破した気分になる。

 

 

 

これであとは最終関門、入所決定通知が送られるのを待つのみ。

 

そう思って会場を後にしたときに

受付の方や上司と思しき方たち一同で丁寧に頭を下げられ謝罪される。

 

・・・こちらこそお世話になります(&なりたいので、しゃあなしやで!)

という気分と、目立ちたくない思いをもちつつ、そそくさと会場を後にして、

そのまま家族で昼食と買い物にでかけて気持ちを切り替える。

 

 

 

そう思っていたら、もう一つの関門に気付く。

 

帰ってから、妻が熱っぽいということで休んだのだが、

息子氏に授乳を数時間ぶりにしたら復活。

色々調べると、どうやら母乳が乳腺に溜まりすぎて「乳腺炎」のようになっていたことが判明する。

 

そういえば、家にいると欲しがるだけあげるし、

外出するときも授乳がすぐできる体制を整えるようにしてきたので、

数時間も息子氏がほしがっても全くあげないということがあまりなかった。

 

あと3ヶ月で、半日授乳しなくても乳腺炎にならないようにしなければいけない・・・

 

なかなかの関門です。

 

子どもと時間を過ごし、向き合うこと

 

マンツーマンで息子氏と数時間か過ごすことは何度もあるのだが、そんなときに、

 

子どもと時間と過ごし、子育てに向き合うというのは、

「自分の無力さ」や「どうにもならないこと」に向き合う、

ということでもあるのかもしれない

 

みたいなことを、実感も含めて思うことがある。

 

今日はそのことに関わる思いをつらつら書いてみる。

 

 

 

・・・子育ては楽しい面もあるが、しんどい面もある。

 

しんどい面としては、子どもに付き合うための「身体的」な体力とかのほかに、

そういった「精神的」なことも結構大きいかもしれない、と思う。

 

 

よく言われる言説として、 

「子どもなんて思い通りにいかなくて当たり前」

といったものがある。

 

実際にその通りだと思うし、大人の言うことを多少は聞けるようになる年齢になるまでは余計にそうだと思う。

(大人の言うことを聞ける年齢というのは、基本的生活習慣を習得し始める時期とされる、幼児期後期(目安としては4~6歳)くらいのイメージでいる)

 

 

さらに、親の言うことを多少は聞ける年齢になったとしても、

子どもというのは脳の仕組み上、

大人である親や養育者よりも衝動的で自分の感情をコントロールできなくて

当たり前だし、なんでもかんでも大人の思い通りにはなるわけはない。

 

そもそも論で言ってしまえば、自分の子どもとはいえ、自分とは別の人間だしね。

 

 

 

つまり、思い通りに子どもが行動したり育っていったりなんてことは本来あり得なくって、

仮に、大人の思い通りにしようとしたら「力」が必要になる。

 

その「力」はもしかしたら子育て上の工夫やテクニックだったりもするかもしれないが、

その「力」は使い方を間違えると、マルトリートメンント、虐待といったことにつながってしまう。

 

子どもに使われる「力」が、大人のためだけ、大人の都合のみによるものの場合、その使い方は間違っている。

あくまでその「力」は、子どものために使われるものでないといけない。

 

児童福祉の現場にいると、どうしてもそういう思いが強くなる。

 

 

 

話はまた少しずれるが、近代以降、人間の力で「コントロール」できるものが増えてきたと言われる。

たとえば今でも、スマホを開けば、思い通りにゲームをしたり、情報を得たり、動画を見たりができる。

 

でも、何から何まで思い通りになるものは、基本的に人がそのように作った「人工物」でしかない。

 

そして子ども含め人間は、天候やその他の動植物と同じく基本的に「自然物」。

これまでの科学的知見などからその後どうなるかの予測はかろうじてできたりできなかったりする程度で、完全にコントロールすることはできないといっても過言ではない。

 

まぁ最近では人工授精に代表される生殖医療やら、そこに大人の意思やら意図やらがかかわるから少しややこしいが、決して子どもは「人工物」ではない、という認識が必要だと思う。

 

 

 

・・・私自身もそうだが、子どもが思い通りにいかないときは「無力さ」を感じる。

また、自分のペースややりたいことを二の次にして対応しないいけないときは、

自分の領域を侵食されたように感じて「怒り」の感情を持ったりもする。

 

でもそれは、コントロールできることが身近に多くある現代人だからこそ、という面もあると思う。

 

コントロールできること(人工物)に慣れてしまった現代人は、

コントロールできないこと(自然物)に不寛容になったのかもしれない。

 

 

 

 

だからこそ現代においては、

「子どもなんて思い通りにいかなくて当たり前」 というアタリマエを、

改めて胸に留めておかないといけないと思うし、

 

子育てにおいて「どうしようもないこと=自分ではコントロールしきれないこと」に向き合う時には、

・子どもをどうこうする以外で、自分の力を発揮できる活動や、自分でコントロールできる領域を確保しておいたり、

・そもそもの「力」や「コントロール」へのこだわりから手を離したり、

・なんとかなる、と楽観的になったり、

・子どもの成長・発達の見通しがもてたり、何とかしようがあること/何ともしようがないことが仕分けられるように「知識」をつけたり、

・思い通りにいかないストレスに押しつぶされる前に他の人に頼ったり、

 

そういった「1人で子どもをコントロールでしきれなくても大丈夫な仕組み」というか、

自分の無力さやどうしようもないことへの対処方法を、状況に応じて使い分けながら

日々を過ごす、ということが大切になるのだと思う

 

 

・・ただ、これらのことは「言うは易し、行うは難し」だったりもする。

 

 

私自身、子育てにかなりのエネルギーを注ぐことになって気付くのだが、

うちは夫婦ともにもともとマイペースで、さらにロングスリーパーなので、

子育てには身体的・精神的ともに不向きな特性を養育者二人とももっていた。

 

1人の子どもに夫婦ともに育休とらずともやっていけるご家庭は多数あると思うが、

我が家では、その体制を敷いてようやくなんとか乗り切れている、という実感がある。

 

さらに言えば、妻のほうが「どうしようもないこと」には寛容で、

私のほうが「どうにかしよう」と無理に解決志向的に行ってしまう癖がある。

 

 

そういう意味でも、子育てってある意味ですごく自分自身の臨床力を鍛えられる取り組みなのかもしれない。

 

・・・そんなことを、思い通りにいかない目の前の息子氏と向き合わず、

つらつら思考を巡らせる、未熟な私であります。

 

酔っ払い

私でも妻でもなく、息子氏の「酔っ払い」についてのお話。

 

もちろんアルコールによるものでなく、息子氏が「酔っ払いみたい」に見える、というだけのお話。

 

 

 

・・・夜眠たいはずの時の息子氏は「酔っ払い」みたいに見える。

 

 

 

一番初めにそう思ったのは、初めてのお泊りのとき。

その時の記事に

なんか変に興奮して大声出したりもしている。

酔っぱらいみたいにあちこちフラフラして、明らかに眠そうなったりもするのに、寝ない。 

 と記述されているが、やはりこんな感じ。

 

 

年末年始に親戚回りをしたとき、高速で二時間以上かけていく私側の田舎に行く際にも、無理せずゆっくりできるよう素泊まりの宿に一泊したのだが、やはり環境が変わると寝にくく、酔っ払いみたいになっていた。

 

最近、覚束ないながら二足歩行もできかけているから余計に足取りが危うい。

 

二足歩行と四足歩行を組み合わせながらあちこち動きまわるものの、明らかに眠そう。

 

「眠いんだったら寝ろよ!」と親としては思ってしまうが・・・

 

この感じ、なんだろうなぁ、と考え、ふと思い出した感覚。

 

自分が子どもの時にも感じた、旅行などのときの夜に「寝るのがもったいない感じ」。

 

 

いつもと違う環境で、なんとなくソワソワ落ち着かなかったり、普段ない刺激を余すことなく体験したかったり、そんな感じかもな~

なんてフラフラと動き回る息子氏を眺める・・・

 

でもやっぱり、またいろいろ連れて行くから、

「今日の所はとにかく早く寝てくれ!!」

なんて思ってしまう、都合のいい「大人の都合」も自分の中に実感したりした。

 

年末年始と可愛がられる息子氏

息子氏、初めての年越し。

 

晦日は、毎年恒例になっている友人たちとの集まりに家族で出掛ける。

初めて家族・親族以外にお披露目をした20年来の友人たちのとこ。

 

 いつもより子どもの割合が多く、友人が小学校近い子どもがいたりもするが、何人か世話好きの女の子がいて、到着数秒で息子氏はもみくちゃにされたりもしていた(苦笑)

 

 

 

あと年始は、無理ない範囲で、日を分けながら夫婦それぞれの親戚たちに会いに行くことにした。

 

赤子がいる長時間の移動は親子ともども負担になりかねないので、あくまで我が家(というか息子氏)がマイペースでいけるように事前調整しておくことも忘れず。

 

私も、すでに会ったとはいえ、ひいばあちゃんにも少しだけ成長した息子氏の姿を見てもらいたい&私も会いたいし。

 

 

 

・・・初めて息子氏に会う親戚もいたのだが、赤ちゃんってやっぱり可愛がられるために存在しているのかもしれないって思うくらいのアイドルっぷり

 

息子氏自身、愛想がめきめき良くなってるし、先月くらいから息子氏の芸となった「パチパチ」は、各親戚を虜にした。

 

 

 

 

子どもが少なくなっている昨今、全盛期のアイドル並の人気を博している息子氏。

 

 

息子氏よ、今だけやで!と思いつつも、つくづく赤ちゃんを笑って囲める環境って大切だなぁなんてしみじみともした年末年始でした。